村上春樹さんのカキフライ理論が面白い。
あるとき読者からこんなメールが来たそうです。
*****
先日就職試験を受けたのですが、そこで『原稿用紙四枚以内』で自分自身について説明しなさい、という問題が出ました。
僕はとても原稿用紙四枚以内で自分自身を説明することなんて出来ませんでした。そんなこと出来っこないですよね。もしそんな問題を出されたら村上さんはどうしますか。プロの作家にはそういうことも出来るのでしょうか?
それについての僕の答えはこういうものだ。
こんにちは。原稿用紙4枚以内で自分自身を説明するのはほとんど不可能に近いですね。おっしゃるとおりです。それはどちらかというと意味のない設問に僕には思えます。ただ、自分自身について書くのは不可能であっても、たとえば牡蠣フライについて原稿用紙4枚以内で書くことは可能ですよね。あなたが牡蠣フライについて書くことで、そこにはあなたと牡蠣フライとのあいだの相関関係や距離感が、自動的に表現されることになります。それはすなわち、突き詰めていけば、あなた自身について書くことでもあります。それが僕のいわゆる「牡蠣フライ理論」です。今度自分自身について書けと言われたら、ためしに牡蠣フライについて書いてみて下さい。もちろん牡蠣フライじゃなくてもいいんです。メンチカツでも、海老コロッケでもかまいません。トヨタ・カローラでも青山通りでもレオナルド・ディカプリオでも、何でもいいんです。とりあえず、僕が牡蠣フライが好きなので、そうしただけです。健闘を祈ります。
『村上春樹 雑文集』の最初に収録されている「自己とは何か(あるいは美味しい牡蠣フライの食べ方)」より
*****
ちなみに引用した記事は、村上さんの考える小説家とは何か、文学とは何か、物語とは何か、自己とは何か。そういう核心がギュッと詰まったかなり読みごたえのある「雑文」です。その文中の最後には実際に原稿用紙四枚で書いてみた「牡蠣フライの話」を紹介しています。実存に関する本質論からオウム真理教に観る社会背景、そして日常感覚のユーモアにまで文脈を自在に繋げる力はさすがです。
こう表現することも出来るでしょう。
あなたが「何か」を表現すると、
その何かが意図した通りに表現される以上に、
「それを表現するあなた自身」が自動的に表れる。
あなたが意識する「それ」との関係性の、質感とエネルギーを以て、「あなたとそれ、というあなたのユニークな全体性」が無意識に伝わってしまうということです。
ところで。私は昨日ブログタイトルを「社会を担う者として」に変えました。これからもっとシンプルに社会を語っていこう!ということですが、それもまた「牡蠣フライ理論」と同じです。社会を観察しブログで描写するということは、自分の頭と心と行動を観察してオープンに自己表現する、ということです。ここで重要かつ純粋な表現物は、「社会」ではなく「千明公司」です。この自覚がなければバランスを欠いてしまいます。
健全な社会を描き、語り、自ら導きたいと望む者は、自分の人間観、人生観、社会観、世界観をオープンに語らなければなりません。自分の頭と心の中をさらし続け、その健全さは人として共感に値するものであるか、他者に判断を委ねて試されなければなりません。与えられた主義主張や立場に思考を依存せずに、また正当化することなく、ただ真摯に観察し、気づきゆえの願いをビジョンとして描き、勇気をもって正直に問いかけていく。社会を導くリーダーはそんな態度で臨むべきだと私は思います。
村上春樹さんの「牡蠣フライ理論」を紹介した理由はもうひとつあります。
それは、妻が彼をロールモデルとして選んでいるということです。
彼は本好きの妻が一番好きな作家ですが、その自立した精神性と余白のある心は、生き方や子育てにおいても人として参考にしたいと妻は考えています。私にとって村上春樹さんを観ていくことは、私たちが最良の家庭づくりのためのコミュニケーションをしていく上でとても重要なのです。
私と妻のあいだの関係性を新たに描くために、私と村上春樹さんのあいだの関係性を深める、ということです。
その具体的で合理的なアプローチとして、「社会を担う者」という私自身の物語の文脈から、村上春樹さんの文章を捉え、このブログでオープンに有意義なシェアをしたいと考えました。
「健全な社会とは何か」を語るリーダーとして、いま自分が重んじている人間関係の質感と社会を繋げて、他者の願いと自分の願いを一つとして表現していく。これからはそんなスタンスで描いていきます。
そういえば思いだした。
ブログを書きまくってた去年の夏頃だったか、妻の刺すような言葉。
「別に次世代にならなくていいから」
そうだね。消しました。
それはもう、私の中にあるからね。
健全な社会を描き、語り、自ら導きたいと望む者は、自分の人間観、人生観、社会観、世界観をオープンに語らなければなりません。自分の頭と心の中をさらし続け、その健全さは人として共感に値するものであるか、他者に判断を委ねて試されなければなりません。与えられた主義主張や立場に思考を依存せずに、また正当化することなく、ただ真摯に観察し、気づきゆえの願いをビジョンとして描き、勇気をもって正直に問いかけていく。社会を導くリーダーはそんな態度で臨むべきだと私は思います。
村上春樹さんの「牡蠣フライ理論」を紹介した理由はもうひとつあります。
それは、妻が彼をロールモデルとして選んでいるということです。
彼は本好きの妻が一番好きな作家ですが、その自立した精神性と余白のある心は、生き方や子育てにおいても人として参考にしたいと妻は考えています。私にとって村上春樹さんを観ていくことは、私たちが最良の家庭づくりのためのコミュニケーションをしていく上でとても重要なのです。
私と妻のあいだの関係性を新たに描くために、私と村上春樹さんのあいだの関係性を深める、ということです。
その具体的で合理的なアプローチとして、「社会を担う者」という私自身の物語の文脈から、村上春樹さんの文章を捉え、このブログでオープンに有意義なシェアをしたいと考えました。
「健全な社会とは何か」を語るリーダーとして、いま自分が重んじている人間関係の質感と社会を繋げて、他者の願いと自分の願いを一つとして表現していく。これからはそんなスタンスで描いていきます。
そういえば思いだした。
ブログを書きまくってた去年の夏頃だったか、妻の刺すような言葉。
「別に次世代にならなくていいから」
そうだね。消しました。
それはもう、私の中にあるからね。