2015年10月28日水曜日

なぜ勉強するのか。

勉強する意味がわかりません。これが将来何の役に立つの?そう中学二年生に聞かれたとき、先生や親たちはどう答えるだろう。

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学生「算数はわかります。足し算とか掛け算とか。でも、この数学の問題が解けるとそれがどう日常の役に立つんですか?」
学校の先生「テストとか受験とか」
学生「はぁ」(それ日常じゃないだろ)
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学生「去年そんなことがありました」

「ははは、そりゃその先生の日常だよね」

学生「先生。昭和のことや、戦争や政治のこと。経済のことを勉強するのは、何となく分かります。でも何で、織田信長がどうだの、大昔の人の生活や文化がどうだの、学ぶ必要があるんですか?」

「そうだな、役に立ちそうもないよね。実際、数学も歴史も他も、役に立たない勉強が大半だ。
今は分からなくても、いつか役に立つ時がくるよ、とか。今与えられたことを一生懸命やることに意味があるんだよ、とか。少なくとも頭の発達に良い、とか。そうやって大人たちは苦しい説明をしようとするけどね。」

「まず、この勉強は将来の自分に役立つかどうか、という考え方をやめた方がいい。それじゃパワーが出ない。納得しないまま、将来に役立つという曖昧な言葉を信じて無理に取り組んで頑張っても、あとあと報われなければ裏切られた気持ちになる。また、できないと自分の無能さを恥じたり嫌悪する。」

「勉強をするとき、自分に役立つかどうかよりも大事なことがある。そのような勉強を重んじる人が、目の前にいるということ。そのような学校の勉強を、重んじる親や社会の考えがある。その事実を、重んじることだ。」

「目の前の人が重んじたいことを、まずは信頼しよう、よし受けとめてあげよう、そういう姿勢で行動することが大事なんだ。
自分の将来に役立つと思えないときは、もう実際に役立たない可能性をOKする。それでも勉強してみる。それを重んじる人の心を、重んじるために。」

「自分の努力が、自分のためじゃないとき。理解できない他人の考えを重んじるためであるとき。その姿勢は立派だよ。自分に得だと納得できることを頑張るよりもね。
それは、他人のために勉強するというわけでもなくて、自分と他人が対等で誠実に対話するために今は勉強する、ということなんだよ。」

「そういえば、先週貸した本は読んでみた?『14歳の君へ』って本。この中にある“勉学“って箇所を読んでみるといいよ。学ぶとはどういうことか、わかりやすく書いてある。まさに今のように問いかけることが、本当の考える勉強なんだよ。」

この後も続いて、教育基本法について語り合う。この法律の前文、第1条教育の目的、第2条教育の目標。それらの文言は、家庭教師として初回訪問したときに既に印刷して渡してある。それを出して、一緒に読んでみて、彼に思ったことや気になったことを聞く。
人格の完成って何だろうね。真理を求める態度って。平和で民主的な社会って。心身ともに健康な国民ってどういうこと。

そんな感じで、なぜ今勉強するのか、大真面目に考える材料を与える。教育基本法に込められているであろう大人たちの願いに、一緒に思いをはせる。私自身の考えと願いとともに。

そこまでやって、教育だと思います。

テスト前だってのに、テスト勉強に身が入らなくなる。何でこんなこと勉強するんだろうなんて、その意味に納得したがって、手が止まる。そんな若者を教えることにやりがい感じます。

2015年10月27日火曜日

妻がムーラン買いました。

妻がムーラン買いました。

当時ディズニーが初めてアジアを舞台にしたということで話題になりました。恋愛要素は隠し味程度で、お姫様系でもない。アナ雪やアラジンのように、華やかな映像と歌で魅了する代表シーンもない。

でもホントいい映画です。

これで、うちにDVDがあるディズニー映画はポカホンタスと2作になりました。

考えてみると共通するところはあって、両作品とも重要人物の格式が高く、物語の前提にある世界観はとても誠実に描かれています。ムーランは中国への敬意が、ポカホンタスはネイティブ・アメリカンへの敬意が、しっかりと物語全体に広がっています。制作チームの気高い情熱が伝わってくるんです。

妻はこんなこと言ってました。

「ムーランは、あなたの言葉で言うと『重んじる心を、重んじる』。大切な人が大切にしている価値観を、大切にしようとして、苦しむ。でも逃げない」

「最初の動機が、お父さんのため。家族のため。
ムーランの勇気は応援したくなる」

「ディズニー作品のヒロインで最も自立していると思う」

「このケチな私がDVD買うなんてよっぽどだ」

というわけでおススメです。

以下はアギレラの挿入歌「リフレクション」。
映画シーンの日本語歌詞と両方を載せます。

Look at me
I will never pass for a perfect bride
Or a perfect daughter
Can it be
I'm not meant to play this part?
Now I see
That if I were truly to be myself
I would break my family's heart
Who is that girl I see
Staring straight
Back at me?
Why is my reflection someone
I don't know?
Somehow I cannot hide
Who I am
Though I've tried
When will my reflection show
Who I am inside?
When will my reflection show
Who I am inside?

ダメね
何のために生まれてきたの私
役に立たない娘
わかる ありのままの自分をごまかせないの
水に映る派手な姿 知らない人に見えるわ
隠せないわ 自分らしさ
本当の私 いつの日か
必ず映る いつの日か

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三歳児の娘が、
「何のために生まれてきたのわたし
役に〜立たないむすめ〜」
を昨日実家で食事中にリピートしまくって苦笑しました。

2015年10月24日土曜日

愛の意味に気づくとき。

自分を無条件にゆるす。

それは独りに還るということであり、 

世界を本当に愛するということ。

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考えすぎたり ヤケ起こしちゃいけない
子どもダマしさ 浮き世なんざ
人は一人になった時に
愛の意味に気づくんだ
「Goodbye Happiness」


2015年10月15日木曜日

働く喜びは全人的に営む覚悟から。

アメリカンジョークをひとつ───
In ham and egg, the hen is only participating, but the pig is really committed.
ハム&エッグにおいて、メンドリ(雌鶏)は参加しているだけだが、ブタはガチでコミットしている。

村山昇さんのグロービスへの寄稿記事より抜粋です。
「会社員」VS「独立自営」の意識差 ―鶏の参加と豚のコミット
globis.jp/column/4537/

さて、ここに2種類の人間がいて、持論を語っています。
トン氏は20代でサラリーマンをやめ、自分が志す道で起業しました。当初から「拡大ありきの商売は志を濁らせる」という信念で、身の丈規模の自営業を続けて20年が経ちます。彼は言います───

「会社員っていうのはどこまでいっても、仕事がどこか“他人事(ひとごと)”になるんだね。何をやるにしたって会社から金が出るわけだし、それで儲けても会社の金、損を出しても会社の金だからね。リスクとリターンは結局、会社のもの。会社員は部分的にかかわるだけで、仕事が深い次元で“自分事(じぶんごと)”になることはないさ。“仕事のオーナーシップ”が浅いっていうかね。こっちはコピー1枚取る費用だって自腹。真剣さが違う。ほんとうの仕事の喜びは、リスクもリターンも自分が全身で引き受けるところでしか生まれないんだ。

企業なんてものは、得体の知れない経営意思、それはたいてい組織存続が目的化した利益追求意思だろうけど、そのもとにみんな働かされているんじゃないかな。みんな自分の評価があって、決められた枠の中のゲームで“よい点”を取るのが仕事になってる。その点、おれの仕事は、おれの想いの表現活動そのもの。働きざまが生きざまだよ」。


他方、ケイ氏は、ある企業に勤めて20年超、新規事業開発の分野で百戦錬磨。事業プロデューサーとして社内の信頼も厚い存在です。彼は言います───

「会社のリスクで、自分の思ったことをできるなんて最高のサラリーマンさ。一個の人間の信用なんて小さいし、そのちっぽけな信用で背負ったリスクで負けようものなら、立ち直るのにどれくらいの時間がかかるんだい。人生、“レバレッジ(てこ)”を利かすことを覚えなきゃ。会社をいい意味で“利用できる”人間が、幸せな職業人なんだと思う。サラリーマンにだって深い仕事はたくさんあるよ。
それに、仕事のリスクを会社に肩代わりさせることで、プライベート生活が守られるわけだ。仕事のオーナーシップを100%自分で持ったら、必ずプライベートに影響が及ぶ。持ち家より賃貸で暮らすほうが、人生全体でみれば柔軟性や広がりは出る。そういうしなやかさがぼくの生き方だ」。
……さて、あなたはトン氏、ケイ氏、どちらの持論に賛同するでしょう。

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先ほどの村山さんの記事は、さっきシェアした妻に言わせると

「うーん、言ってることは合ってるけどあんまり好みの文章じゃなかった。わかりやすいけどやや過激というか」

「余白があるように見せて、実はない」

「どっちがいいとは言わない、って書いてあるけど明らかに前者を意識してるし」

とバッサリ。笑

妻が読んだ通り、それが村山さんの譲れない本当の主張だから。

メンドリの参加と豚のコミットの文章から思い出すことがあります。
「俺はこの会社のトップ、つまり自分が社長である意識で働いている。」と何度も飲みの席で言っていた先輩。彼はそのつもりだったようだが、それから1年ほどで、次の就職先を決めてから辞意を伝え、引き継ぎも不十分にドタバタと辞めていった。社長の意識だなんて格好良く言いながら、全人的なコミットがなかったのは明らかです。

時々思うが、多くの人は何で黙ってコソコソ転職活動するんでしょうか。次の会社に内定が決まってからじゃないと辞められない。そう考える人の割合は、私の実感では過半数を大幅に越える。何故それが常識なのだろう?(私もみずほ証券を辞めるとき、次の職が決まっていないのに退職届けを出したことを両家の親から無責任だと言われました。)

既婚者はメンドリ的参加の不正乗り換えが許される雰囲気があるようだが、社会全体に対する不誠実さは変わらないと私は思う。そんな社員ばかりだからリーダーたちも傷つくし、人間不信・社会不信になって、次第に経営は社員を立場で扱うようになっていく。で、お互い様の雇われ根性と雇いたがり根性の、信頼する対話なき組織が出来上がる。

やっぱり、、
お金がないと生きていけないっていう生存不安、そして、家族の為に稼げる社会的立場を維持できないと自分の存在価値を肯定できないという実存不安が、脅迫的なまでに強すぎるように思う。雇う側も、雇われ側の怖れや依存心を都合よく利用しすぎだと思う。
だから村山さんは、強い個になれ、とメッセージを発信し続ける。この気持ち、よくわかります。


配偶者との対話。

会社との対話。

社会との対話。

いずれも、我が身の保証ありきで、人間と人間の本当の対話ができるわけないと思います。全方位に、一貫して自分の真実を発信する覚悟がなければ、与えられた立場に寄りかかる生き方しか出来なくなります。

仕事は、自己表現であり、自分と社会との対話であり、存在を分かち合う営みだと思っています。
全人的なコミットなしには、働くことの本当の喜びはないと思います。

2015年10月9日金曜日

本シェアーズという事業。

屋号、本シェアーズ。
職業、教育家。
開業日、8月2日。
先月はじめ成田税務署に届けてきた。

事業理念、あるものをわかちあう。

事業の概要。個人教師、家庭教師、塾講師、講演、執筆。人材育成の相談、教育事業再生コンサルティング業務。文化交流企画・運営。その他、上記に付帯する業務。

事業目的は、私たちがあるものをわかちあうこと。看板事業は、心にある本を分かち合う。そのような営みがしたいということが、分かりやすく伝わるのが一番いい名前だと考えた。で、本シェアーズ。この一語を信頼した。起点を生み出したあとは、それがどう成長するかは全体との対話にお任せ。
まだ頭の中にあるばかりだが、いずれもそのうち実現するだろう。事業の核心は、既に実現している。既にやっている。

あるものを、わかちあう。シンプルにそれだけ。

私が事業をつくっていく上で大切だと思う5つを改めて。
素直な願いを込めていること。オープンな自己表現であること。分かち合う対話であること。プレゼントであること。心地よい余白があること。

開業は妻の誕生日。私たち二人のパートナーシップが一つ。私と社会くんとのパートナーシップが一つ。本シェアーズはこの両輪で走っていく。

本をシェアすること。

家入さんの『15歳から、社長になれる。ぼくらの時代の起業入門』を妻とシェアしています。出勤前に「面白い本ない?軽めの本」っていうから本棚にあるこれを渡した。
http://amzn.to/1jSay2q
後半の家入さんによる若手起業家たちへのインタビューをみて「この子たち、ほんとすごいなー。恐れがない。損なわれてない」と、さっき妻LINEが。「14歳の君へ(池田晶子)は読めなかったけど、家入さんは目線が対等で読みやすいし、愛がある。」って。
昨日通勤中で読んだ梅原さんの『勝ち続ける意志力』より面白いってさ。逆に、家庭教師で教えている中学二年生の男の子は、両方貸したけど、梅原さんの著書の方がずっと感激していた。それぞれ読み方も感じ方も違う。シェアして飛び出してくる会話も違う。本のシェアは面白いぜ。

そういえば、石飛幸三さんの『平穏死のすすめ』も介護の職場でシェアすることになりました。10冊購入、嬉しいです。
http://amzn.to/1KFNuKJ
私は介護職員初任者研修の資格取得のため、前職を4月に辞めてすぐに千葉市稲毛にある医療グループこひつじ会の介護教室に3か月間通っていました。そこで、元金融マンであり、親の介護を経て介護業界へ転職されたベテラン女性講師からお勧めだよと手渡された本が『平穏死のすすめ』でした。
現代医療を問う、そして、これからの介護のターミナル・ケアのモデルを示す、素晴らしい著書でした。妻もこの本には感銘を受けていました。私の上司の看護師もです。

人々の願いの真実は、一流の生き方をする人物が記した本がシェアされることで、より深く伝わりあい、交じり合います。
人間に向き合う本物のリーダーによって、真実の願いが深く交り合うようなコミュニケーションがなされれば、現実は自ずと普遍的健全さへ導かれると私は信じます。

2015年10月4日日曜日

良き学び方のモデル。

良書のシェア、実名ブログ、共同体貢献活動。
この三点セットを学生に促したい。

学校ありきではなく、家庭ありきでもなく、
自分ありきで聞く、話す、読む、書く。

自分の願いありきの受容と自己表現を通じて、人と喜びを分かち合って、人間関係を築いて、営みを展開させて、そのプロセスを楽しみなさいって。

部活する暇ないかも。

そのように自分と社会が純粋なコミュニケーションをしていれば、人は勝手に触発される。気づかされる。学びたくなり、内発的に行動する。結果、健全に成長する。
そんな子育て、塾を試してみるつもりです。
まずは私が実践しています。


2015年10月2日金曜日

他者の生き方をリスペクトしているから本気で対話したくなる。

村上春樹のような自由な精神の職人的作家が好きだし、
岡本太郎のような全人間的に闘う芸術家も好きだし、
二宮金次郎のような社会を根本から再生するリーダーも好きだ。

自分の心にはいろいろな生き方のロールモデルがある。

一方で、そういう畏敬の念を抱くような凄い生き方ばかりではなく、もっと気楽な考え方を実践する人も好きだ。社会の構造的な暴力性から出来るだけ距離を置いて、ただ人間として健全な日々を過ごしたい。素朴な願いを大切にして、自分に正直になって自然体で生きようとする人たちに、私は好感を抱いている。

さらに言うと、私の両親も妻の両親も、日本の政治経済と社会常識を重んじながら(おそらく矛盾も感じながら)、愛する家族を守るために相当な努力してきた。本当に忍耐してきた人達だ。私たち夫婦は、保守的に誠実さを積み重ねてきた親の生き方の恩恵を、十分に受けてきている。他者の物語を重んじることで、人間社会に誠実であろうとし、自分の誇りと大切な家族の尊厳を守ろうとした。私たちの親は、私たちの親なりに、与えられた時代を精一杯に背負ってくぐり抜けてくれたのだと感謝している。そういう大人たちの生きた重みに敬意を覚えるようになってから、私は微笑みながら胸を張って人間を信頼できるようになった。

いろんな人達の生き方をリスペクトしているから、自分の真実を語りたい。自分の真実で受けとめたい。自分の生き方を表現して、相手が誰であろうとぶつかることを怖れず、この時代と対等に対話したいと思っている。