私たちは「人は本当にやりたい、必要だと感じたときに一番よく学ぶ」と考え、その瞬間の学びを信頼しているのです。東京サドベリースクール
サドベリーは人間を信頼する。本人を信頼する。余白を信頼する。教育の起点と重心が信頼だ。一方で大半の公教育は、人間不信、社会不信を前提に行われている。教育現場は、不安と必要ゆえの大人たちの願いで埋め尽くされている。「子供のため」と言いながら。
『今ここの必然を信頼する教育』と『いつか何かの不安と期待の物語に応じる教育』。その違いなのだと思う。
私からするとサドベリー教育もまた何かが足りない。しかし、その出身者で広報も務めた米澤悠亮さんは「それ」が足りている。彼は心身をフルオープンにして現代教育に挑んでいる。対話している。他者の不安、社会の不安に、自分を晒して受け止め、向き合っている。私がサドベリーに強く興味を抱いたのは、彼の存在を知ってその姿勢に心打たれたからだ。
大人が子供と対等に対話する教育を実現するには、大人が社会と対等に対話していなきゃならないんだよね。
理想の教育像がはっきり見えてきたよ。