2013年7月21日日曜日

国家を重んじる、人の心を重んじて


鏡を見て下さい。

















そこに何が見えますか。

















国民。











ビジネスマン。










男性。












人間。












あなた。










あるがままに見て下さい。












僕の鏡に映っていたのは、



自分です。



男性です。



人間です。



それは感覚的に即答できます。




しかし。



言われてみればビジネスマンです。



言われてみれば国民です。




鏡を見て、


「あ国民だ!」という言葉を発してみて下さい。




しっくり感はどの程度ありますか?




例えば、


「あ私だ!」が100%だとして、



「あ人間だ!」は何パーセントで、



「あ国民だ!」はどのくらい?




・・・10%くらいはしっくりきましたか?





そのリアリティこそ、政治の現実です。




国民。

政治家。

国家。


そういう観念で、社会を機能させようとする営みの本当の実力です。

24時間365日のうち、
自分=国民のリアリティと、同程度の潜在力ということです。


鏡に映った自分を見て、国民の義務と権利を思い起こして下さい。

「国民である自分」をリードする政治に、本当に力がありそうですか?


もし、国家という言葉が強大に感じるならば、
その圧倒するパワーはあなたの潜在力です。


自分の頭の中で、国家という言葉にパワーを与えているに過ぎません。


分裂した意識を、自分の胸に取り戻して下さい。


希望を持つべきも、絶望すべきも、自分にです。


取り戻すべきは、日本ではありません。


自分を生きることです。


国民であると思えば、
たった一人の脆弱な、
1億3000万分の1の存在に思えます。


大丈夫です。
鏡を見て、「国民がいる!」というリアリティを第一に持つ人はいませんから。


国民であることに無力感を感じる必要はありません。

国民ではなく人間だから。在るがままの事実として。

リアリティなき国民という言葉と、
国民に応えようとするリアリティなき政治が機能しないのは、
ある意味で当然だからです。



人間であることに、

自分であることに、

もっともっと絶大な信頼をして欲しい。


国とは人です。

社会とは人です。

世界とは、人間である私たちの投影です。


素朴な日常と同じように、
世界全体の捉え方も、日本の将来のビジョンも、
自分のリアリティに徹底的にこだわってほしい。

国民であることの無力感を打ち消すほどに、人間であることを貫けばいい。


日本に貢献したいと願うのであれば、
ありもしない観念を取り戻そうと同調するのではなく、
24時間365日、リアリティが生じる起点である、今の自分に希望を持つことです。

自分をゆるすことです。
偽らないで生きることです。

簡単なことではありませんが、誰でもできることです。


語られているビジョンは、人間の真実が軸になっているでしょうか。



今度は、子供の視点で自分の住む街を見渡して下さい。
そして自らのリアリティに聞いてみて下さい。


政治家が何を言おうと、
マスメディアが何を言おうと、
この世界には人間がいるだけです。

いつだって、今ここの自分が基準です。



自身の、人間として健全なビジョンとその生き方に向き合う。

日本の、社会の健全なあり方のビジョンとその形成に向き合う。


全く同じことです。僕の感覚では。





選挙は人材採用です。


僕は人物を観ています。



その精神。その情熱。その行動。そのビジョン。

偽りがないのか?

人間の真実を軸にしているのか?

自分のリアリティから生じた言葉なのか?



まずそれが前提です。



国家を重んじるのではなく、

国家を重んじる、人の心を重んじているのか。



今日は次世代の社会を担う若者として参院選に投票してきます。

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