2013年9月17日火曜日

父への敬愛

先日、会社の上司と休憩中に話したことが頭に残っている。


僕のいる卸事業部では、社内外への農作物・加工食品の流通センターの役割を担っています。

荷量が少ない日は手が空く時もあって、そんな時は翌日以降の仕事の前倒しをしたり、不足気味の備品や定型書類を補充したり、社内メールや資料を読んだり、その他に普段やりたくてもなかなか出来ていなかったこと・気付いたことを各々の判断でやっています。

その人は空いた時間に取り組む仕事の生産性が驚くほど高い。

センター内の大棚や作業台を自分で作ったり、大がかりな配置変えをする。いつも職人かと思うほどの手際の良さ。

つい先日も、二階から一階への精米室の移動工事に向けてスペースを確保する為に、センター内の棚や机の配置を変えた。見事にすっきりと広くなった。

僕はいつもながら上司の仕事ぶりに感動した。


「いつこれをやろうと考えていたのですか?前からイメージしていたんですか」

「いや今日だよ」

(なぜ今日決めて今日出来るんだろう)

「○○さんなら工務店の仕事も向いてそうですね」

「そういう仕事は嫌いじゃないね」(笑)

「うちが造園業だから。小さい頃から大工が使う道具は全部身近にあって、十代の頃には一通り触ってた。ケガも沢山したけどね。今もノコギリの傷が残ってるよ」

「だからすぐイメージ出来るんですね」

「知らず知らずに、父親の影響って受けてるんだよね。いや俺だけかも知れないけど」

「僕もそうですよ。僕だけじゃなくて、みんな親の影響って自然に受けてると思います」

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たしかに父の影響を受けてきたと思う。


父は工務店で働いています。仕事柄もあって、家の引っ越しでも床の張り替えでも器用にこなし、必要があれば仕事仲間や伯父さんを手伝いに呼んでいた。小さい頃からその手際の良さを間近で見てきました。「仕事は段取り8割」と言われます。段取りの的確さと緻密さのなせる業なのでしょう、僕にはそんな働きぶりは到底出来ません。職人の血をひく会社の上司と同様に、父にも作業工程を具体的にイメージする想定力と、物事の背景と人の心へ想像力が人一倍に働いているとよく感じます。

建設現場には大量の資材と機材そして多くの関係者がいます。人・物・金のまとめ役となる現場監督には繊細かつ逞しい想像力が求められます。実行力に関しては、心から協力してくれる本気の人物が縦・横にどれだけいるかが重要ですが、これは自分の誇りをかけて誠実な行動を積み重ねて培われる信頼関係という財産です。父にはそれがある。父の言葉には人に向き合ってきた重みがあり、お互いを分かち合おうとする人情味があり、人を惹きつける力と姿勢に長けているのだと思います。

・・・親バカならぬ子バカか、というほど褒めていますね(笑)

ベタベタした関係性は全く無いんですけど、ただ掛け値なしにそう思っています。

若くして子供3人を抱えた父はバランスを重んじてきました。マネーゲームに踊り狂ったバブル期の不動産業界、建設業界も経験しています。人に裏切られた経験もある。おかしな社会を恨んだこともあっと思う。1990年代、戦後の55年体制が変わったときは政治に期待したことも、後に失望したこともあったと思う。人の健全さと病み、社会の表と裏、時代の価値観の盛衰。人生を通じて見てきたもの、感じたもの、自身の生き方からの真実をもって、僕に語ってくれます。

「自分の50年前と50年後。100年のバランスを見て生きるのがいい」
「自分のやってきたことが自分だ。それ以上でも以下でもない。おれはやってきたんだ」
「お前の言葉は軽い」

僕は父と話すのが好きです。高校の頃から沢山してきました。仕事のこと。社会のこと。政治経済のこと。母のこと。祖父母のこと。親戚のこと。父の小さい頃や学生の頃のこと。

大学生の時も、社会人になってからも、実家に帰る度によく聞いた。

時には涙が出そうになるほど、いやたまに出てるかも(笑)
それほど、熱い想いが込み上げてくることがある。


ある時あまりに為になることを言ってくれるものだから、
「もっと昔から語ってくれれば良かったのに」と言いました。

「・・・若い時はそんな余裕が無かったからな」と父。

そんな夜もありました。


父は誠実です。そして家族が大好き。趣味は家族。
そして先祖想いでもある。18歳の頃から群馬への墓参りを一度も欠かしたことが無い。

先祖の墓の前で、きっと静かに対話しているのだろう。亡くなった祖父母に、僕や兄や姉のこと、元気に成長している孫娘のことを報告してくれているのだろう。毎年、群馬片品村の自然豊かな山々と畑を眺めながら、家族の素朴な幸せを願い、祈っているのだろう。その道中を、以前は僕ら家族5人みんなで、今は、母と二人で、心から楽しんでいるのだろう。

情のある人だ。

そんな父に、僕は大いに影響を受けている。

想定力と段取り力、信頼を築き人を動かす人間力、几帳面で丁寧、義理人情に厚い・・・という長所は受け継いでいない。父のような優れた特性は今の僕にはない。おそらく潜在的に無いことはないのだが、道筋・アプローチが違っている。

でも深く通じ合います。父とは深いところで共鳴しているのが分かる。

それはきっと、血のつながり故ではなくて、
互いの意識の根底にある世界観が通じているからなのだと思っている。

年を取るにつれて段々と似てくるような気がします。


僕は一人で酒は飲まないけどね。



敬愛しています。



こんなブログを書いたら何を言ってんだと怒られるだろうか。

まぁいいか(笑)

今日が人生最後の日かもしれないから。

ここは僕の遺書でもある。

悔いを残さずに真実を残したい。


だから父へ。

ありがとう。

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