2013年11月8日金曜日

問題解決の心

私たちの問題は人間がつくったものだ。
だから人間によって解決できる。 ―ジョン・F・ケネディ
Our problems are man‐made, therefore, they can be solved by man. 
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外側の問題を自分の内側の問題として受容し、自己欺瞞へ逃げない。
そして赦しながら、問題解決へと進む。


その姿勢をさらに考えました。


私が問題解決にこだわり、それを目的とするのは何故だろう。


自分の心と他者の心に、正直に向き合う為だったんだと気付きました。
心を感じあって、応じあって、純粋に分かち合う喜びのため。

そのように生きるなら、結果として問題は、問題を現実たらしめている私たちの意識のあり方が変わることで消えます。 各々が純粋に心と向き合う中で、心と心を分かち合う喜びと自由を確信する。人であるゆえの信頼と叡智が集合的に発揮されていく。

問題を現実へと象っていた、閉鎖的に抱え込まれていた世界観と信念は、
開き、和して同せず通じあい、一体となって機能しはじめ、自ずと変わっていく。
問題は必然に消えます。

問題解決の為に、問題に対する相手の意識を変えようとする必要はありません。決して認識の正当性を争うのではない。それは自分の怖れを動機にしているに過ぎません。

自分の願いをオープンに開き、もっと全体の流れの理と自分の根源を信頼して、
傷つき騙される覚悟をもって、
相手の懐に愛を携えて踏み込んでいく。全体の流れに身を投じていく。

私たちはもっと、信じる理性と、込み上げる情熱を、純粋に生きるべきなんだと思う。

問題とは「観念」であり「解釈」です。つまり自分の観念と自分の解釈、あるいは自分の解釈と他者の解釈、その思いこんでいる思考と思考同士の矛盾のことです。その矛盾に、不信ゆえの怖れと現実への不満を詰め込んでしまう。すると矛盾は、相いれない解釈と不安を巻き込み続け、感情的に連鎖拡大していく。

向き合うべきは、観念の対立や摩擦ではない。その源泉である、あるがままの、いまの意識であり、いま感じている自分と相手の心ではないでしょうか。

あらゆる問題は在るのではない。在らしめているに過ぎない。
いま、私たちの心が生じさせ続けています。

問題解決とは、観念で観念に打ち勝つものではなく、
純粋に、心で心に向き合った先に在るもの。
いま在る心を、分かち合った先に訪れるもの。

意図を超えた信頼によって、意図しつつも、決して執着しない精神。

そのような心で、相手の心と向き合おうと臨むのであれば、
解決できない問題など存在しないと思います。


人と向き合いたいなら、問題の解決へと自ら進むことであり、
問題を解決したいなら、自ら人の心と向き合うことが、理に適っている。

人の人生は、運命は、
そのように出来ているのでしょうね。素敵なことに。

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