2015年8月30日日曜日

自分がおかしいのか、社会がおかしいのか。

こんなツイートを読みました。

「社会不適合者という言葉もあるけれど、鬱病患者が100万人以上もいると噂の社会に無理矢理適合させて生きるよりも、新しい社会の在り方なり理想のスタイルを(自分の生き様を通じて)実現する為の力を養う方が、多分、圧倒的に有意義だと思う。レールを外れても、大地があるから大丈夫だ。」

「鬱病とは「おかしいのは自分なのか、おかしいのは世の中なのか」と悩んだ時に、おかしいのは自分なんだと思い込んでしまった瞬間に発症する病気だと思う。年間3万人の自殺者がいる世の中は「あまりまともじゃない」と思うので、おかしいのは世の中の方なんだと思うことを推奨しています。」

「先日、不登校の息子を抱えて悩む母親と話した。母親は「このままでは息子に未来はない」と言った。私は「そんなことはない」と思った。不登校は別に問題ではなく、不登校を問題だと思うマインドが問題で、世間的なレールの上を歩く価値よりも、息子そのものの価値を認めて欲しいと思った。」
(坂爪圭吾さんのツイッターより)
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共感するところが多分にあります。

日本の自殺者は年間三万人。しかし統計上の「変死者」は年間14万人に達します。両者の違いは、自殺の定義、①遺言があるか、②死後24時間以内に発見されたか。変死者の半数を自殺に計上するWHOの見解を適用すれば、日本の推定自殺数は十万人に膨れ上がります。
※死因が特定できず法規上警察への通報が義務付けられた遺体の内、犯罪の疑いのあるものを除外した「非犯罪死体」は14万6千体(08年)で、その数は過去11年間で1.6倍に増加している。一方、同期間の自殺者数はほぼ3万強で変動なし。

私見ですが、うつ病の人が「世間がおかしい」といってもまぁまぁ正解ですし、「自分がおかしい」といってもまぁまぁ正解だと思います。しかしどっちのせいにしても自分が苦しいという結果は変わりません。

大切なのは、そのおかしい自分を捨て身でオープンにする勇気と、そのおかしい世間と真っ向からフェアに対話する覚悟です。

『自己と世界との関係性がおかしい』という表現がきっと一番的確です。健全な関係を自分に正直になって選び直せばいいのだと思います。

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