こんなツイートを読んだ。
そんなんじゃ生きていけないよと何度も言われてきたけれど、誤解を恐れずに言えば「そこまでして(自分を殺してまででも)生きていたいとは思えない」と感じてしまう自分がいた。生活のために生きるのか、生命のために生きるのか、多分、腹を括るとは『生命のために生きる』道を選ぶ覚悟だ。(坂爪圭吾さんのTwitter)
私が私の道を行くと決めた時、一緒に歩けなくなる人がいる。どんなに大好きな人でも、速度が変わり、感覚が変わり、気づいたら同じ景色を見ることはできなくなる場合もある。悲しい、寂しい時もある。それでも自分の道を行くと決めた。新しい場所へ行くと決めた。それが私にとって「生きる」ってこと。(mayuさんのTwitter)
どちらも、そうだよねと思います。
自分が証券会社を辞めたとき。辞めたあと、周囲に反対や否定をされても、たとえ縁を切られても、本当の表現をする覚悟をしたとき。この時代の社会から捨てられたとしても、偽らない対話をしていこうと踏み込んだ内容のブログを実名で書き始めたとき。
自分も同じような心境だったのを思い出します。
生きるってどういうこと?
それぞれにいろんな答えがある。今の自分の答えを言葉にして確かめてみると、何か良い気づきがあるかもしれません。
三歳児の娘を見ていると、あぁこの子はイキイキしているなぁって思います。目の前の環境に心が素直に影響され、また、変わりゆく心のままを体現する。好き、嫌だ、やりたい、見たい、触れたい、話したい、楽しい、面白い、見て、読んで、食べたい、お腹いっぱい、もっと、もういい。世界と純粋な対話をしています。
親は子を愛する。しかし、子は親を愛さない。親を愛する前に、幼い命は、世界を愛しています。
命はいつもフェア。嘘がない。怖れがない。スピリットは、いつだって世界と対等に対話したがっている。
生きるとは、心と世界がちゃんと対話すること。
ときどき娘から素敵なことを気づかされます。
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