2013年4月11日木曜日

人口爆発という現象の意味

日本の人口推移をふり返ると、
室町-安土桃山時代は人口1000万人強でした。
江戸時代になり、
1600年ごろから百数十年の間で一気に3000万人を超えます。

明治になるとまた爆発し、
1910年頃には5000万人を突破。
1967年には1億人を突破。
2008年には1億2808万人のピークを迎え、減少に転じます。
(参考文献:『Newton 2012/06 まもなくやってくる100億人時代』)

下の図を観て下さい。

国立社会保障・人口問題研究所より
ネットで手に入る生産年齢人口に関するグラフの中で、これがもっとも分かりやすい。

そもそも生産年齢人口とは何か。
なぜそれが社会を考える上で重要なのか。

これについては、
僕が途中で投げ出した過去記事「現代社会の考察② 生産年齢人口の推移
を少し参考にして下さい。すいません(笑)


手元にあるニュートンの記事と、上記の図を見て思うのは、

ここ100年の日本は、日本史上類を見ないほど、
働く人口が高い割合のまま劇的に増加したということです。
お爺さんの、お爺さんの、お爺さんくらいまで遡らないと、
人口拡大局面の社会しか知らないんです。

国民年金と国民医療保険の制度発足は1960年前後からです。

財政収支の均衡の原則を捨てて、
赤字国債の発行に踏み切ったのが1974年からです。

いかにお気楽で恵まれた時期に始まったかが分かりますよね。


生産年齢人口が折り返して十数年たっただけで、
プライマリーバランス黒字化(利息だけでも返せる状態)、
消費税20%と、あたふた騒いでいるわけですが、

そもそもの前提の前提の前提から、
成り立つ条件が変わってしまったのではないでしょうか。

それが人口爆発とその終焉です。


我々の社会にとって、
生産年齢人口の拡大は極めて重要な意味を持っていたんですね。


近代的な政治・経済システムを備えた国家のなかで、

人口減少社会を経験した国はおそらくありません。




日本はこのまま減少していくとして、
世界ではどうかというと、
まだまだ伸び続けます。

それでも、いずれは限界に達して、
おそらく100億人までだろうと言われています。



このあたりの説明は、
TEDのハンス・ロスリング 「宗教と赤ちゃん」をご参考下さい。



本当にTEDというプレゼンサイトは素晴らしいです。 

はっきり言って、
このような高品質の無料コンテンツが溢れるネットに、
さらに理解を深める書籍があれば、
大学に通う必要があるのかとすら思える時代がここ数年で始まっているんです。

世界の教育環境の格差がなくなっていったら・・・
あと十数年であろうと思いますが、一体どうなるでしょうか。



話を戻します。



さてこの人口爆発という現象は、

人類にとって何を意味しているのでしょうか。



まだ僕にはわかりません。

すぐに答えが出るものではありません。



しかし確実に言えることは、

日本も米国も、世界も、

たった200年の間で起こった、10億人から70億人への未曾有の人口爆発を土台にして、

国家・政治・経済の世界観を創ってきたということです。



先の年金・医療保険の制度は一例です。

不兌換紙幣と資本主義ですら、その例にあたる可能性があると僕は考えています。

人口爆発とは、
不兌換紙幣と財政不均衡とドル基軸通貨を可能にし、
資本主義システムを支え続けた最大の要因であると思うのですが、
この辺りの分析は、今後ブログで書いていきたいと思います。

この事態は46億年の地球史においても未曾有の出来ごとなのですが、
私たちの時間感覚はたかだが数十年と短いので、
これが当たり前だいう認識なんです。



人口爆発が終焉し、人口減少に転ずるとき、
いったい何が起きるでしょうか。



現代の国家、経済、社会の常識が、
根底から崩れさっていく気がしています。

戦前と戦後、昭和、平成・・・
私たちの記憶にある限りでも、
確かに常識は大きく変遷していきました。


しかし、
もっと根本からの変化が起きるのだと思います。


それは、人間として、生命として、
人間観と世界観が普遍的であるか否かを、
強烈に問いかけてくる変化なのだと思います。



私たちは、執着を捨てて、

真に普遍性のある道の上に、

人生と社会を形成し直すことできるのか。


執着を捨てられず、

真実を隠す個人、組織、国家は、

存続不可能になっていく。


そんな予感がしています。





ある支配的な価値観が時代を象り、

その価値観の拡大が終わったあとに、

人間の真価が問われる。



歴史は常にそうだったのではないでしょうか。


その繰り返しだったのではないでしょうか。




支配的価値が崩れていく中で、

人は苦悩し、

真理を求め、

存在へ立ち返り、

真実を自らの内に見出し、

誇り高き精神で分かち合って、

現実を創りだす。




この人間という生命のプロセスを、

時空を超えて「意識」をつなぐことによって、

加速させているのがインターネットです。



ネットによって、人間現象の流れに革命が起きています。



物事は、

役割と役割という仮面の関係性で流れ、生じるものから、

人格と人格という真実の人間関係で流れ、創造的に生じさせるものへ。




国民と国家という観念が支配的だった時代は終わり、
今世界に広がっているのはお金という観念です。

しかし、

もっともっと大きくみてみると、

地球における人類史は、

人間という生命体を拡大してきたわけです。



今世紀中に、

おそらく数十年後には、

人間そのものの拡大が終わることになります。




そのとき、

人間という存在の真価が問われることになるのではないでしょうか。




人類の総決算として

人間の繁栄と存在の意味を問うこと


それが、
人口爆発という現象とその終焉によって完成する意味なのだと思います。




人口爆発の終焉は、今日本で起きています。


日本が世界に先駆けてこの問題と向き合うことになります。


だからこそ、

日本が次世代の社会のリーダーになりうるんです。



これからの新しい時代を生きることに、

それを創ることに、

とても大きな意義を感じずにはいられません。

情熱の薔薇



見てきたことや聞いたこと

今まで覚えた全部

デタラメだったら面白い

そんな気持ちわかるでしょう



そう、ブルーハーツの情熱の薔薇です。

甲本さんの詩の中でも一番好きな歌詞です。



あなたの情熱は、

あなたの心のずっと奥の方に咲き誇る、真っ赤な薔薇です。



それを咲かせようぜ!っていうメッセージを、彼は全力で歌っています。



熱くなれるものがない?

情熱がない?



咲いていないだけです。


情熱は必ず咲きます。



咲かせ方がわからない?



答えはきっと奥の方

心のずっと奥の方

涙はそこからやってくる

心のずっと奥の方



自分の心の奥の声を聴いて下さい。


感じて動いているはずです。


それがあなたの真実です。


それを観つづけてください。




情熱の真っ赤な薔薇を胸に咲かせよう

花瓶に水をあげましょう

心のずっと奥の方




孤独に埋もれている種を、小さな小さな芽を、

信じて、

孤独に水をあげてください。



あなたは、あなたの真実を、現実にしたくなります。

あなたの真実を、もっとリアルに分かち合いたくなります。



それが胸に咲いたとき、

心も体も「それ」に突き動かされているでしょう。





この世界の多くの人の胸に、

それぞれの真実への情熱の薔薇が咲き誇りますように。



甲本さん、最高のメッセージをありがとう。

2013年4月10日水曜日

赤字国債という現象の意味


国債が700兆円を超えています。



財務省:戦後の国債管理政策の推移 普通国債残高の項目より


さらに地方債を含めると公債は900兆円を超えます。



それでも国家会計は破綻しない。




なぜだと思いますか。




国債は「借金」だという認識に間違いはありません。

もし家計であれば
信用を失って貸し手がいなくなって利息も返せなくなり、
お金の流れが途絶えて自己破産です。


ただ国家の場合、

「家計における借金」というイメージでは捉えきれない、

「お金という観念の本質的何か」が機能しているのだと僕は考えています。


一体それは何なのか。


これを捉えると、

資本主義国家が

返せるはずもないほど国債を発行し続けるのは何故か。

借金まみれの国家会計は何故それが可能で、破綻しないのか。


これらの問いを説明できるような気がしています。


どうやら、

断片の流れで見た「お金」の機能と、
全体の流れで見た「お金」の機能は、

ずいぶんと異なって見える可能性がありそうです。


部分と全体の理解を統合することが、

お金という観念を創りだしている人間の真実に迫るのではないか。


お金と人間の真実の理解に基づいた、

新たなお金の世界観こそが、

悪化を辿る資本主義経済の生産性を上回り、

真に持続可能で健全な人間社会を実現する経済システムを創ることができる。


僕にはそんな直感が働いています。



だから、
この問いに挑戦したい。



赤字国債という現象は、人間にとって何を意味するのか。



今後書いていきますので、一緒に考えて頂けたら嬉しいです。



2013年4月8日月曜日

経済と人間を理解するリーダー

どうして為替は株価と連動するのだろうと本気で考え始めたのは、
証券会社に入社して二年目の頃です。


入社は2008年4月。
一年目は右も左も分からないまま新規顧客の開拓営業に出た。
サブプライムローン、リーマンショック、CDS・・・
世界的バブル崩壊と金融危機で、
目の前のニュースを追いかけるだけで精いっぱいだった。

金融経済のメカニズムについて、
腰を据えて考察する余裕はありませんでした。


二年目になると、自分で開拓した新規客に加えて既存顧客を任されます。
日々の経済ニュースの意味、今日の市場動向の解釈、
証券制度と金融商品取引法、上場企業の事業内容、
石油・金の値動きについて、新興国の将来性、
投資戦略や資産内容の評価・・・

それらの説明を自分の口から伝える機会が圧倒的に増えた。

自分が理解していないことは伝わらないと痛感した。

緊張感を持ってますます経済・金融・経営への関心を高めていきました。


そこで気付きます。


為替と株価は、なんでこんなにも相関するんだ?
どの期間を切り取った比較チャートを見ても、値動きがそっくりじゃないか。

もちろんこの二つが連動することは知識として知ってはいますが、
その連動性が異常なほど強いわけです。


理由を探すと、

「日本経済は輸出型の構造なので円安が業績に有利だから」
「外国人投資家が6割だから」

といった一般的な説明ばかりです。上司もベテラン社員もそう言っている。


なんとなく理屈は通ります。

でもふわふわした部分が残ってしまう。


僕は自分の感覚が納得しないと、ずっと考えてしまう性格です。


実際にyahooファイナンスでデータを取り、
為替動向と日経平均株価の相関係数をエクセルではじき出します。

統計学は大学生の頃にかじった程度でしたが、思い出しつつグラフと関数をいじくる。

円相場と日経平均株価の相関係数は、0.95程という想像以上の強さを示しました。
これほど二つの要素が毎日連動しているのは絶対におかしい。

「投資家が、為替を見て、株を評価判断して、売り買いをする」

というイメージが直観的に成立しない。

だから一般的な説明はますます不十分に思えました。





僕がどのような分析を行ったかを実際に紹介します。

せっかくなので

2012年4月~2013年4月までの最新1年間のデータで見て下さい。
(ちなみに数値は週次です。ヤフーファイナンスで取り込みました)


①散布図


縦軸は日経平均株価。
横軸は円・ドル為替レート。
一年ちょいの間の週次データのプロットです。散布していませんね。
77円から96円の幅で、綺麗な右肩上がりを示しています。


相関係数は0.97

詳しい説明は省きます。1に近いほど正の相関が強いことを示します。
仮に同じもの同士だと分散がまったくなくなり、相関係数は1となります。


②折れ線(初期値を100%とした時の推移比較)



二つの数値変動の推移を比較するとき、初期値を100%にするのが便利です。
やはり株価の変動は、為替に比べると大きめですね。

前半の円高は株安に、後半の円安は株高になっているのがよく分かります。



こうしてデータ情報を集め、自分の手と目を動かし、
数値をはじき出したり、グラフへ視覚化する過程で、

連動性とはいうものの、それは一体どの程度なのか、という感覚がつかめます。

そうすることで直観がさえてくる。判断と仮説に自信を持って思考できる。

もちろんすぐには分かりません。
ふとしたときに思い出したり、
別の観点から関連付けるひらめきが起きたりして、
数カ月はかかったと思います。

しかし洞察を続けていくと、ちゃんと全体像は見えてくるんですね。



先日紹介した田村記者の記事ですが、

僕は2009年度後半には同じ結論を得ていて、顧客に説明していました。

外国人投資家の割合の高さと、ドルベース価格で売り買いするマネーの影響の強さ。
日本も含めた世界中の機関投資家による、ポートフォリオ重視による機械的な自動売買。


就社して二年目でも、そこまでは見抜けるということです。
本気で関心を持っているのならば。



しかしこの問いに対して、

トレード損益に関心がなくポートフォリオ維持のため機械的に売買する時価投資家と、
短期トレード利益を狙って価格変動に追随する時価投資家がいて、
これら二つの最優先事項の異なるマネーのリレー現象である

という、先日書いた記事ほど深い理解に及んだのは金融業界を離れてからでした。


スピリチュアル、哲学、心理学、自然科学の視点を取りいれている今だから、
より鮮明に現象を解いて見えるのだと思います。


業界にいると、その世界観と専門性に引きずられて、
人間として人間社会の現象をありのまま見る力が鈍るのかもしれません。

もちろん証券金融の専門を学ぶことで、社会を見抜く力を養う面も多々ありますが。


5年も勤めずに辞めた人間が業界にいると・・・なんて、口にすると怒られそうですね(笑)
専門性についても分かったとは言えないのは認めます。

でも、現代金融の王道と世界観の本質については理解した自信があるので、
つい分かった風にいってしまうところがある。

妻にはよく指摘されるところでもあります。


確かに実感していることは、

経済を見る上で、
金融と離れた今の方が遥かに見通しがいい。


毎朝日経新聞を読んで、
会社の金融情報端末で常に情報に触れ、
家に帰ったら有価証券報告書を見て企業経営を知ろうとし、
寝る前にはワールドビジネスサテライトを見ていた頃の方が、
ずっと経済に明るくて良いはずですが、
そういうものではないんですよね。
人間社会というものは。


所属組織にも、業界にも、国にも、時代にも、

「和して同せず」で、ありたいなと思います。




そうでした。


為替と株価の関係への問いが、
政治を担うリーダーの資質を見抜くものとして
なぜ望ましいと考えるのかを説明します。

一つには、

「君子は和して同せず」だからです。


高度成長期から使い古された一般的な答えを言ってしまう人は、
確かに新聞の論調から経済学の教科書まで書いてあるのだから、
非難はされません。最も安全な答えでしょう。

本質が分かっていない人は、引用して答える。
本質が分かっている人でも、一般的意見と異なる説明をするのは避けたい。

自分の頭で考えて、納得する答えを導き出したとしても、
それを口にするのは勇気がいります。

保身より、身内の論理より、

個の精神であるかが問われることになります。


政治家や上場企業経営者として、許される答えか否か、を基準にするのか。

自分として、誠意を尽くした誇れる答えか否か、を基準にするのか。


人間社会というのは、
全体を思いやりながらも個の精神で、
自分の真実を述べるリーダーを選び続けなければ、
いずれどこかで上手くいかなくなるのではないでしょうか。



そして、もうひとつ。

この時代のリーダーは、
お金という観念と真摯に向き合うべきだからです。

お金の観念が人間社会の問題の根本にあります。


そして、
お金という観念を、
人生観も社会観も飲み込んでしまうほど肥大化させているのは資本市場です。

これを理解したリーダーでなければ、
人間社会の問題を根本から治癒することはできない、と僕は考えます。


新たな時代を拓くリーダーは、
事業経営としても、国家運営としても、
愛として機能するお金と、
怖れとして機能するお金を、
明確に見抜けなくてはならないと思うんです。

その上で、

人間関係の社会生態系を洞察し、
怖れではなく、愛の理を活かすように、
お金の流れ方の質をデザインできるか。

個と全体の真の繋がりを再生し、
確かな生産性を上げる社会を創れるか。


僕は、新時代のリーダーにそれを求めたい。


そういうわけで、

「なぜ株価は為替レートと連動するのか」という問いは、
新たな時代を拓くリーダーとしての資質を見る試金石として悪くないな、と思っています。





歴史を振り返っても、
人間と経済の見方が優れ、
それを個の精神で実践して時代を導いたリーダーはいました。



ガンジーはこう言いました。

「世界中の貧しい人たちを救うのは、大量生産ではなく大衆による生産である」




二宮尊徳はこう言いました。

「財の生命は徳を生かすにあり」




貧しい人を救わない。

豊かな国でも善意は生かされず、依存と嘘による不信が拡大する。


国家も年金医療も、
お金の総量を増やし続ける前提でないと破綻する。
インフレターゲット、金融緩和、赤字国債と財政出動・・・
それら総量を増やし続ける延命策に執着する。

そんな状態で私たちは、
既存のお金の流れ方の問題に、
本当に根本から向き合えているのでしょうか。


私たちは国民として将来に問題を先送りにし、将来を憂えていますが、
同時にそのような先送りをしつづける社会に対して不信と保身を強めていて、
ますますお金と権威が味方でないと不安になってはいませんか。


資本主義国家は、
いつから国家は借金を返さなくてもよい、という理屈を採用したのでしょうか。


西洋と東洋の、
経済大国の最高峰であり、
生産年齢人口が拡大し続けた果てに豊かになった米国と日本ですら、
社会が上手くいっていないと思うのであれば、
一体どこの国が資本主義のあり方に希望を持てるというのでしょうか。


私たちは、
お金の観念と、それが現実を象る作用を注意深く観察しなければなりません。


人間としての理性が働く部分と、
働いていない部分があるのではないか。


それらを混同してはならないのではないか。


そもそもお金とは何なのか。

人間という存在の一体何が、お金として現われているのか。





僕は、

そういう事に気付き、経済と人間の理を一つとして生かすリーダーを創りたい。

自分がそうであることによって。

2013年4月7日日曜日

今後書くテーマ 2

お金の価値について

第一価値は愛 
(信頼。共有。贈与。循環。理性。自律。創造。 和 。真実。自由。自尊。赦し)

第二価値は怖れの愛 
(信用。所有。権利。蓄積。理屈。規律。反応。妥協。建前。義務。期待。正義)




お金の第二価値の創造・流通過程について


お金の第一価値の創造・流通過程について




資本主義の質の変容について




資本主義を祝福であるとして赦すこと




男女関係について





NANAの登場人物ヤスについて




人口爆発について




資質を問う質問とは、どのような質問か




父、母、妻への感謝




スーパーオオゼキの経営について





証券会社勤務時代に培った金融経済の見方





人間関係の光を創造するお金の使い方





大切な人を自由にするということ




信頼と信用と期待の違い




真実を分かち合う時代へ

2013年4月5日金曜日

為替と株価はなぜ連動するのか

為替市場で円が安くなると、
ほぼすべての株価が高くなります。


それは一体なぜか。


為替と株価は、なぜ連動するのか。

先日、お金という世界観の問題にて問いかけをしました。


もし金融マンや上場企業経営者や政治家が、
一流の回答を示せないのなら、
その責任をまっとうする資質として一流ではない、と僕は言いました。


であるなら、
僕は答えを示さなければなりません。


自分の洞察が正しいかどうかは証明できませんが、
読んでいただく人の心で感じていただきたいと思います。

真実に迫るような説明力があるか。
社会を機能させるのに役立つ視点とインスピレーションがあるかどうか。




途中までは、一般的な説明を紹介しつつ、
経済の常識に基づいた説明をします。

人によっては小難しいですが、
最後は自分なりの簡略化した見方を示します。



問題。

なぜ為替と株価は連動するのか。



まずは経済学の教科書でも言われる一般的な説明です。


日本経済は輸出主導型の経済構造になっているため、
輸出に有利な円安・ドル高を歓迎し、
輸出に不利な円高・ドル安を警戒する傾向があります。

また円高が進むと、輸出関連株が売られ、
内需関連株が買われる傾向があります。
逆に円安が進むと、 輸出関連株が買われて、
内需関連株が売られる傾向が見られます。


テレビも新聞も、経済紙も昔っからそのように説明しているので、
このような見方をご存知の方も多いはず。


金融機関の営業マン(資産運用コンサルタント)も、
基本的にそう説明しています。

以前の職場でも、
顧客に市場動向を説明する際、
この理屈を伝える人がほとんどでした。


詳しく読みたい方はこの日経の記事を参考にして下さい。



しかし上記の常識は、
果たして本当に正しいと言えるでしょうか。


疑問①
内需株(ニトリ・ユニクロ等)も上昇している。
円安は無差別・無条件の全面株高ではないか。

疑問②
為替と株価の連動は、即時性が強すぎる。
業績を予想した歓迎や警戒のような、
事業価値を算定する判断の動きと言えないのではないか。

疑問③
そもそも、日本は輸出主導型の経済構造なのか。
高度成長期は間違いなくそうだっただろうが、
はたして今となっては、輸出主導とは一体どの程度なのだろうか。


最近、疑問①と疑問②を的確に答えている、
為替と株価の相関関係を説明する良い記事を見つけました。


【国際政治経済学入門】円安と株高はなぜ連動するか
Sankei Express 2013/03/13 より抜粋

2011年3月11日の東日本大震災から2年がたった。震災で株式市場は、
08年9月の「リーマン・ショック」以来の不振に追い打ちをかけられたが、
昨年11月16日の衆院解散総選挙決定を機に、一挙に上昇局面に転じた。
大胆な金融緩和政策を求める安倍晋三氏率いる自民党の政権奪還が
確実視されて円高是正とともに株が買われるようになり、
安倍政権発足で円安・株高に弾みがついた。

そこで円相場と株価の連動メカニズムを解明してみよう。

●日本株の比率一定に
本来、日本の株価は円の対ドル相場に連動する「法則」がかなり前から働いている。
理由について、
自動車、家電など輸出産業が円安で収益を増やし、円高では逆になる、
という説明が多いが、その見方は大ざっぱすぎる。

現実の株式市場は投資家の売り買いで動くのだが、
投資家は通常、現時点の相場水準ではなく、
円相場の動向が高くなる、あるいは安くなるという予想をまず立てて、
円高が進みそうだと日本株を売り、安くなりそうだと買うはずである。
予想が定着するまでにはある程度時間がかかる。

ところがグラフを見ると、
円相場と株価のアップダウンの動きはほぼ同時並行で進んでいる。
時間差はほとんどみられない。なぜか。

日本株の売買高の5割以上を占めているのは「外国人」である。
外国人の本拠はニューヨーク・ウォール街で、
かれらはグローバルな証券投資を展開している。
そのポートフォリオはドル建てで計算され、
米国株に対する日本株の比率はしばらくの間、固定される。

円相場が上がると、ドル建ての日本株時価は増えるので、
ポートフォリオでの日本株の比率が上がる。
すると、コンピューターによる自動売買プログラムが作動し、
日本株を売って、日本株の比率の上昇を防ぐ。

円安の場合、逆に日本株の比率が下がるので、日本株を買い増すようになる。
日本国内の投資家はこうした外国人の動向に敏感なので、
円安は買い、円高は売りというふうに追随する。
こうして、円安すなわち株高という現象が生まれる。
以下略
(産経新聞特別記者・編集委員 田村秀男)



僕の見解は田村記者と概ね同じです。




この説明を補足しつつ、僕の考えをまとめます。



①株価の動きは、将来の企業業績と為替レートの価値を予測した結果ではない。

価格形成は、価値への予測が集約された集合知ではなく、
価格への反射運動の連鎖。

※反射運動・・・特定の刺激に対して高い確率で起こる反応。
例えば、膝の皿あたりを叩くと、足が前に上がってしまう等

②東証一部の市場売買高の5割以上が外国人である。

それは、
日本株投資家の半数以上がドルベースで損益を測っており、
円と円以外のバスケット通貨で「時価」は形成されているということ。

③投資スタイルの金融業界の常識は、分散投資。

大きな資産を運用するプロは、
円とドルとユーロ、株と国債と不動産など、
通貨や証券の種類の保有割合の維持をルールとして定めている。
どのリスクをどの程度取るか、最適なリスク分散のあり方を検討し、
運用目的に合理的な資産へと組み合わせることを、ポートフォリオを組むという。


④為替レートの変動は保有割合が決定されている大量のマネーを動かす。

日本株の比率を原則通りに保つための取引を誘発し、時価を形成する。


⑤プロが最優先するのは運用の原則である。

投資の結果は預けた人の自己責任であり、
雇われであるプロはパフォーマンスが悪くても問題ない。
嫌なら自分で運用すればいい。
しかし雇われのプロが、クライアントとの約束である原則に背くことは、
内外から責められるべき事由。

そもそもポートフォリオ重視の投資家は、
売り買いのトレーディングで儲けようとしていない。

複数の金融資産の合理的な組み合わせを管理することで、
時間経過を味方にした利子によって、
安定的なパフォーマンスを得ようとしている。

従ってこのマネーの特徴は、運用ルールに従って、
為替レートに従順に反応して機械的に売買すること。


⑥コンピュータ技術の発達が為替と株の連動性を強めた。

為替レートが変動するとき、
それに反応して機械的に売買するマネーが市場において主流となる。

その効率をよくしているのは、
世界中の市場情報を集約するシステム、
それをもとに運用ルールに従って投資判断する自動売買プログラム、
運用会社と証券取引所の高速売買システムです。

売り買いの情報収集・判断・発注は瞬時に処理され、
為替レートと株価は時間差なく連動するようになる。



以上が、金融の常識に則った、為替と株価の連動性の説明です。



僕は田村さんの記事を修正して、もっと本質に迫りたい。


>円安の場合、逆に日本株の比率が下がるので、日本株を買い増すようになる。
日本国内の投資家はこうした外国人の動向に敏感なので、
円安は買い、円高は売りというふうに追随する。
>こうして、円安すなわち株高という現象が生まれる。


投資家は大きく3ついます。


(1)淡々とルールで動くマネー

(2)値動きに反応するマネー (多くは上がるから買う、下がるから売るという順張り)

(3)価値を将来予測するマネー



僕のイメージでは、
(1)と(2)は時価投資家、(3)は価値投資家です。 ※これは僕の造語です。

一番早いのは(1)のルールで動くマネーです。
彼らは機会的かつ利益を優先しないゆえに動きが一番早い。

その次に、(2)の値動きに投機する順張りマネーが追随します。
彼らは短期利益を追求しすぎるがゆえに、常に動きは2番手。


これら二種類の時価投資家のマネーによって、
為替と株価が連動するパターンは、
驚異的な再現性をもって繰り返されつづけて、
法則と呼べるまでになった。

と僕は考えます。


おそらく、
このパターンを形成する時価投資家は、
必ずしも外国人投資家とはいえません。

国内のプロ投資家も、
円建てとドル建てに分散し、それぞれに保有割合を定めています。

彼らも目先のパフォーマンスより、ポートフォリオ維持を重視しますから、
円安という為替変動への反応の仕方としては、
保有資産を円ベースで見て、
外国株の比率が上がるのでそれを売却し、
日本株の比率が下がるのでこっちを買います。


このポートフォリオの維持を重視するスタイルは、
日米欧問わず、世界の常識であり、
このマネーの動き方に、国籍の差はありません。

既に大量のドル建て資産を、
ポートフォリオ重視のマネーで所有・管理している日本人投資家のマネーも、
原理的に外国人と同じ動きをするからです。


さらに。

この値動きに追随する(2)の順張り時価投資家に関しても、
おそらく日本人の方が多いとは思いますが、
外国人投資家にも多数いるはずです。

日本人投資家による追随マネーが多いのは、
彼らに主体性がないというわけではなく、
日本人にとって地元である日本株は、
短期パフォーマンスを最優先する順張り投資が外国人よりも手軽に実行しやすく有利、
という単純な事実によっているのでしょう。


マネーの国籍の違いは、
分かりやすい理由のように見えて本質ではないのです。


以上のように、

為替レートと株価の連動性を真に説明するには、

現象として現れる一つの時価と向き合って、

その形成過程を総合しながら読み解かなければなりません。


最終的に行きついたのは、

マネーの流れの量ではなく、


どのような最優先事項を持ったマネーなのか、

という質の違いを見抜くこと


すなわち、

市場に参加する投資家のあり方の本質的な違いを見抜くことでした。



今日の、以前とは比較にならないほど驚異的な為替と株価の連動性は、
証券取引における情報処理技術の発達と、
分散投資の哲学が世界中で普及したことによる必然的な結果といえるでしょう。



ちなみに(3)の価値投資家について。
値動きに投機するのではなく、価値に投資する彼らは、
きちんと企業価値、通貨価値を予測します。
買うからには安く買いたい、と逆張りが多くなります。
イメージとしては、王道の中の最高峰であるウォーレンバフェットです。




本当は、もっともっと大胆に簡略化した説明をしたかったです。

肩叩き券などの比喩を使ったり、簡単なシミュレーションを示したりと、
いろいろ考えましたが、
余計に分かりにくくなる気がしてやめました。

僕は金融マンとして一流の資質ではなかったようです(笑)





一つ大切な視点を忘れていました。

為替変動と株価変動の連動性の説明として、
中期においても変動率の水準が酷似する理由を示さないと完璧ではありません。


次回はそれに加え、
僕が何故この問いを重んじているのかも含めて書きたいと思います。

参考「為替と株価はなぜ連動するのか②

2013年4月4日木曜日

お金という世界観の問題

為替市場で円が安くなると、

ほぼすべての株価が高くなります。


一体なぜでしょうか。


為替と株価は、
なぜ連動するのでしょうか。





これは最も一般的な経済現象の基本的な問いです。


だからこそ、
もしこの問いについて、
一流の説明が出来ないのであれば、

 そのような
金融マン、
上場企業経営者、
経済学者・評論家、
新聞、
政治家は一流ではないと考えます。


彼らを挙げたのは、
今の社会の世界観を創りだしている彼らの責任が極めて重いからです。


もし僕が国会答弁で、
政治家に問う機会があるとしたら、
資質の試金石となる質問を沢山投げかけるでしょうね。


さて、

世界観という言葉を使いました。

それは私の生きるこの世界は一体どういうものか、というイメージです。

行動と思考の前提であり、
感情のトリガーとなる観念を象っている認識のことです。


イメージといっても、
「美しい桜を想像して下さい」

というような、生易しい言葉ではありません。


ニール・ドナルド・ウォルシュは著書「神との対話」の中で、
「信念」
あるいは、
「思考を支える思考」と表現しています。


世界観は、
自らの人生の可能性と枠組みを決定するものであり、
これを自由に創り、選択することができるようにならねば、
自由で創造性あふれる人生を歩むことはできないと思います。

安心を追い求めてながら、常に不安が付きまとってしまうのは、
誰かに与えられた世界観に依存しているからであり、
つまり自らそれを築けないからです。

世界の見方がゆらいでいれば、
自分の存在は相対的にしか定まらないので揺らぎっぱなしになります。

不安の問題は、外ではなく内にあるということです。


私たちの世界観は、
個人差だけでなく、
生まれる国や文化によって、
あるいは生きる時代によっても異なります。


ざっくり言ってしまえば、時代を司る価値観は3つだったと僕は考えます。


「神」  「国家」  「お金」


今は組織宗教と「神」に権威を感じる時代でもなければ、

戦争と身分制度を強いる「国家」の武力と権力を怖れる時代でもありません。

それらよりも、
素朴な個人の生活から地球の成り行きまで影響を与える支配的な価値観はー、
どうやら資本主義化が極まっていく世界をみると、「お金」の時代といえそうです。


世界中で多くの人が、
日夜プレッシャーの中で働いて稼ぎ、食費をまかないます。

家賃も医療も、
老後の安心も子供の教育も、
家族や友人との娯楽も、
親としての尊厳も人生の成功も、

お金に依存しています。


だからこそ、
人々の世界観の形成について、
お金の見方と経験は絶大な力をもつ。


それは、
人をコントロールしたいと望むならば、
お金の見方と経験を提供せよ、ということでもあります。



日常生活で味わっているお金をめぐる実体験をもって、
新聞やテレビを見ます。

そこで私たちは日々、
経済ニュースを聞いていて、
なんとなく分かる様な、
分からない様な感覚のままでいるのではないでしょうか。


そうして潜在意識において、

「社会というのは難しいんだな」
「この世界は難しい問題だらけで、私の判断や影響力なんて小さいんだ」
「誰か頭の良い、凄い人じゃないと問題を解決できない世界なんだ」

と自分で自分を小さくし、ちょっとした無力感とともに、
世界や、人間社会の全体を、
理解不能な、複雑で巨大なイメージにしてしまうように思えるんです。


人は、
本当に理解した現象は怖れなくなるものです。

逆に、理解できないもの(人)を怖れます。

自然科学の発展も、
宗教・哲学でいう悟りも、
その真価は、
人間が世界に抱く怖れの克服であったように思います。

科学も哲学も、
世界と自分という
存在意義を根本から支える最も大きな対象と、
真摯に向き合い、
理を解く(=理解する)営みです。

そうして、
世界を信頼する(=自分を信頼する)生き方を選択するという、
自由で、能動的で、創造的な世界観を手に入れることが出来るわけです。

人類全体はそのように進歩してきた。
今もその最中であると僕は思います。


要するに、言いたいのはこうです。

人は世界と向き合わず、
その理解と世界観の形成を、
他人に任せて避けるほど、
勝手に頭で世界なる全体を大きく複雑にして怖れるのではないか。

怖れると余計に、
世界という全体に向き合いたくなくなり、
個人としては理性的でも、
全体としては理性を失うのではないか。



「私は自分には理解が及ばない巨大な全体に所属している。

私のような平凡な人間が、
素朴に幸せに生きるためには、
競って戦うなり、
強者に従うなりして、
自分を保身する必要があるのだ。

私も皆も、
そういう世界で、
ささやかな幸せを生きるために必死に頑張る人生なのだ」


もしこのような世界観が、

一人一人の、思考と行動の前提となる潜在意識の中に、
形成されてしまっているとしたら。

果たしてどういうことが起きるでしょうか。


本来は既に全体であるにも関わらず、
「全体」を怖れる私たちは、
個人としては理性的でも、
矛盾に溢れた思考・行動を繰り返していて、
「全体」としては理性を失った振る舞いをするかもしれません。

であるならば、
個人が全体を信頼できない世界観をもっている限り、
個人としての部分最適の積み上げは、
それがどれほど美しく誠実な行為であったとしても、
全体の最適にはならないのかもしれません。


つまり、

全体を信頼できる世界観を創り(解き)、

それが広がるメカニズムを起爆させれば、

全体の理性を再生できるということです。

真に合理的な社会を創れるということです。


内なる世界観に向き合い、
外へ世界観を分かち合い、
愛によって怖れを取り除くプロセスの果てに、
人間社会の問題は解決される。

僕はそう考えています。


富の蓄積が社会を豊かにするという資本主義の「常識」―


地球の自然現象と生態系が示すのと同様に、

富の生命は「循環」だと思うのですが、

循環なき蓄積を求める社会が、

果たして本当に人間を豊かにするのか。


そのような社会のまま、

地球と人間の多様性と機能は持続可能であるのか。






お金とは何か。


私たちの社会はまだ回答を得ていません。

正しくいうと、
「こういうものにしよう」
という定義をしきれていません。


神とは何か。

分かりません。分からないけども、
スピリチュアリティの広がりによって、
その概念は個人において内的な統合を果たし、
自分を信じることと神を信じることは同じであると悟り、
世界と自分を大きな意味で信頼する生き方を選択して、
人々はより自由になっていく気がしています。


国家とは何か。

意見はいろいろあります。ありますけども、
民主主義の広がりと定着によって、
完璧ではないものの、
その概念は個人において内的に統合され、
国家を信じることと国民を信じることは同じであるという制度設計がされ、
一応は信頼できるものになり、
人々はより自由になった気がしています。


お金とは何か。

自由主義経済の広がりと定着によって、
その概念は個人において内的に統合されたかに見えました。

しかし自由主義が生み出した資本主義の枠組みを、
人々は次第に制御しきれなくなり、
全体としては、
人間の理性を機能させているとは言い難い現状です。

食料を6000万トン輸入し、2000万トン廃棄する日本と、
毎日25000人が餓死する世界。

そのように貧困に苦しむ人々に、
豊かになれるチャンスを与えるとして、
自由競争に駆り立て、
膨大に物を生産し、
流通させては廃棄を繰り返し、
お金の量は正当性であるという理屈を強化し続けるグローバル金融経済。

お金の価値観に支配されて苦しむ貧困国家と民が、
資本主義の上流にいる米国や日本をみて、
夢をみている間は一時的に憧れて尊敬するかもしれません。

しかし競争の蔓延る世界が生み出す現実に絶望したとき、
恨みを抱くのは当然でしょう。

お金による自由とは、
勝者・強者・経済力の自由といった方が良いような気がします

お金に関する人々の怖れと不自由は強まっているからです。

同時に、嘘とコントロールと依存と競争も強まっている。

この内面と外面は相互に作用し合い、
負のスパイラルは連鎖拡大していくのでしょう。


そうして、
資本主義の上流として経済的に成功した米国も日本も、
一流企業のエリートも経営層も、
強者に見える人たちも、
同じくお金の力を怖れて戦い続けています。
お金の力によって安心と尊厳を得ようとしている限り。



循環を目的とした競争であるならば、
互いの存在を、分かち合う共同体の精神があります。

しかし所有という権力手段に用いるためのお金の獲得競争ならば、
互いの存在を怖れ手段にしあう、分裂の精神にもとづきます。

後者の争いが社会を真に合理的にすることは永遠にないと、
僕は思っています。


お金という機能の、何が善で、何が悪なのか。


質の違いを定義し、
選択しなければ、
いつまで経っても量を追うばかりです。


叡智が試されています。



僕は悲観していません。

お金を生み出したのが人間であるなら、
お金も必ず”人間の理”として機能するよう統合できるはずですから。


それが僕の信念です。


人間の真実は、

お金があるから自由になるのではありません。

自由であるから豊かになる。


お金があるから幸福になるのではありません。

幸福であるから豊かになる。



現実は違いますか?

現実も長期ではそうなっていると、僕は信じて疑いませんが、

もし違うというなら、

そういう仕組みにすればいいのではないでしょうか。


お金とは、

人間の真実に従って、

そういう枠組みとして創造し直せばいい。


かつて西欧で、
国家なる幻想の正当性に立ち向かった、
民主主義の叡智の起こりと同じように。


次世代のビジョンについては、このブログで整理していきます。



『ネバー・エンディング・ストーリー』『モモ』などの代表作で知られる
ドイツの童話作家、ミヒャエルエンデは言いました。

お金の問題が解決されなければ、
われわれの文化に関するすべての問題は解決されないだろう