2013年4月8日月曜日

経済と人間を理解するリーダー

どうして為替は株価と連動するのだろうと本気で考え始めたのは、
証券会社に入社して二年目の頃です。


入社は2008年4月。
一年目は右も左も分からないまま新規顧客の開拓営業に出た。
サブプライムローン、リーマンショック、CDS・・・
世界的バブル崩壊と金融危機で、
目の前のニュースを追いかけるだけで精いっぱいだった。

金融経済のメカニズムについて、
腰を据えて考察する余裕はありませんでした。


二年目になると、自分で開拓した新規客に加えて既存顧客を任されます。
日々の経済ニュースの意味、今日の市場動向の解釈、
証券制度と金融商品取引法、上場企業の事業内容、
石油・金の値動きについて、新興国の将来性、
投資戦略や資産内容の評価・・・

それらの説明を自分の口から伝える機会が圧倒的に増えた。

自分が理解していないことは伝わらないと痛感した。

緊張感を持ってますます経済・金融・経営への関心を高めていきました。


そこで気付きます。


為替と株価は、なんでこんなにも相関するんだ?
どの期間を切り取った比較チャートを見ても、値動きがそっくりじゃないか。

もちろんこの二つが連動することは知識として知ってはいますが、
その連動性が異常なほど強いわけです。


理由を探すと、

「日本経済は輸出型の構造なので円安が業績に有利だから」
「外国人投資家が6割だから」

といった一般的な説明ばかりです。上司もベテラン社員もそう言っている。


なんとなく理屈は通ります。

でもふわふわした部分が残ってしまう。


僕は自分の感覚が納得しないと、ずっと考えてしまう性格です。


実際にyahooファイナンスでデータを取り、
為替動向と日経平均株価の相関係数をエクセルではじき出します。

統計学は大学生の頃にかじった程度でしたが、思い出しつつグラフと関数をいじくる。

円相場と日経平均株価の相関係数は、0.95程という想像以上の強さを示しました。
これほど二つの要素が毎日連動しているのは絶対におかしい。

「投資家が、為替を見て、株を評価判断して、売り買いをする」

というイメージが直観的に成立しない。

だから一般的な説明はますます不十分に思えました。





僕がどのような分析を行ったかを実際に紹介します。

せっかくなので

2012年4月~2013年4月までの最新1年間のデータで見て下さい。
(ちなみに数値は週次です。ヤフーファイナンスで取り込みました)


①散布図


縦軸は日経平均株価。
横軸は円・ドル為替レート。
一年ちょいの間の週次データのプロットです。散布していませんね。
77円から96円の幅で、綺麗な右肩上がりを示しています。


相関係数は0.97

詳しい説明は省きます。1に近いほど正の相関が強いことを示します。
仮に同じもの同士だと分散がまったくなくなり、相関係数は1となります。


②折れ線(初期値を100%とした時の推移比較)



二つの数値変動の推移を比較するとき、初期値を100%にするのが便利です。
やはり株価の変動は、為替に比べると大きめですね。

前半の円高は株安に、後半の円安は株高になっているのがよく分かります。



こうしてデータ情報を集め、自分の手と目を動かし、
数値をはじき出したり、グラフへ視覚化する過程で、

連動性とはいうものの、それは一体どの程度なのか、という感覚がつかめます。

そうすることで直観がさえてくる。判断と仮説に自信を持って思考できる。

もちろんすぐには分かりません。
ふとしたときに思い出したり、
別の観点から関連付けるひらめきが起きたりして、
数カ月はかかったと思います。

しかし洞察を続けていくと、ちゃんと全体像は見えてくるんですね。



先日紹介した田村記者の記事ですが、

僕は2009年度後半には同じ結論を得ていて、顧客に説明していました。

外国人投資家の割合の高さと、ドルベース価格で売り買いするマネーの影響の強さ。
日本も含めた世界中の機関投資家による、ポートフォリオ重視による機械的な自動売買。


就社して二年目でも、そこまでは見抜けるということです。
本気で関心を持っているのならば。



しかしこの問いに対して、

トレード損益に関心がなくポートフォリオ維持のため機械的に売買する時価投資家と、
短期トレード利益を狙って価格変動に追随する時価投資家がいて、
これら二つの最優先事項の異なるマネーのリレー現象である

という、先日書いた記事ほど深い理解に及んだのは金融業界を離れてからでした。


スピリチュアル、哲学、心理学、自然科学の視点を取りいれている今だから、
より鮮明に現象を解いて見えるのだと思います。


業界にいると、その世界観と専門性に引きずられて、
人間として人間社会の現象をありのまま見る力が鈍るのかもしれません。

もちろん証券金融の専門を学ぶことで、社会を見抜く力を養う面も多々ありますが。


5年も勤めずに辞めた人間が業界にいると・・・なんて、口にすると怒られそうですね(笑)
専門性についても分かったとは言えないのは認めます。

でも、現代金融の王道と世界観の本質については理解した自信があるので、
つい分かった風にいってしまうところがある。

妻にはよく指摘されるところでもあります。


確かに実感していることは、

経済を見る上で、
金融と離れた今の方が遥かに見通しがいい。


毎朝日経新聞を読んで、
会社の金融情報端末で常に情報に触れ、
家に帰ったら有価証券報告書を見て企業経営を知ろうとし、
寝る前にはワールドビジネスサテライトを見ていた頃の方が、
ずっと経済に明るくて良いはずですが、
そういうものではないんですよね。
人間社会というものは。


所属組織にも、業界にも、国にも、時代にも、

「和して同せず」で、ありたいなと思います。




そうでした。


為替と株価の関係への問いが、
政治を担うリーダーの資質を見抜くものとして
なぜ望ましいと考えるのかを説明します。

一つには、

「君子は和して同せず」だからです。


高度成長期から使い古された一般的な答えを言ってしまう人は、
確かに新聞の論調から経済学の教科書まで書いてあるのだから、
非難はされません。最も安全な答えでしょう。

本質が分かっていない人は、引用して答える。
本質が分かっている人でも、一般的意見と異なる説明をするのは避けたい。

自分の頭で考えて、納得する答えを導き出したとしても、
それを口にするのは勇気がいります。

保身より、身内の論理より、

個の精神であるかが問われることになります。


政治家や上場企業経営者として、許される答えか否か、を基準にするのか。

自分として、誠意を尽くした誇れる答えか否か、を基準にするのか。


人間社会というのは、
全体を思いやりながらも個の精神で、
自分の真実を述べるリーダーを選び続けなければ、
いずれどこかで上手くいかなくなるのではないでしょうか。



そして、もうひとつ。

この時代のリーダーは、
お金という観念と真摯に向き合うべきだからです。

お金の観念が人間社会の問題の根本にあります。


そして、
お金という観念を、
人生観も社会観も飲み込んでしまうほど肥大化させているのは資本市場です。

これを理解したリーダーでなければ、
人間社会の問題を根本から治癒することはできない、と僕は考えます。


新たな時代を拓くリーダーは、
事業経営としても、国家運営としても、
愛として機能するお金と、
怖れとして機能するお金を、
明確に見抜けなくてはならないと思うんです。

その上で、

人間関係の社会生態系を洞察し、
怖れではなく、愛の理を活かすように、
お金の流れ方の質をデザインできるか。

個と全体の真の繋がりを再生し、
確かな生産性を上げる社会を創れるか。


僕は、新時代のリーダーにそれを求めたい。


そういうわけで、

「なぜ株価は為替レートと連動するのか」という問いは、
新たな時代を拓くリーダーとしての資質を見る試金石として悪くないな、と思っています。





歴史を振り返っても、
人間と経済の見方が優れ、
それを個の精神で実践して時代を導いたリーダーはいました。



ガンジーはこう言いました。

「世界中の貧しい人たちを救うのは、大量生産ではなく大衆による生産である」




二宮尊徳はこう言いました。

「財の生命は徳を生かすにあり」




貧しい人を救わない。

豊かな国でも善意は生かされず、依存と嘘による不信が拡大する。


国家も年金医療も、
お金の総量を増やし続ける前提でないと破綻する。
インフレターゲット、金融緩和、赤字国債と財政出動・・・
それら総量を増やし続ける延命策に執着する。

そんな状態で私たちは、
既存のお金の流れ方の問題に、
本当に根本から向き合えているのでしょうか。


私たちは国民として将来に問題を先送りにし、将来を憂えていますが、
同時にそのような先送りをしつづける社会に対して不信と保身を強めていて、
ますますお金と権威が味方でないと不安になってはいませんか。


資本主義国家は、
いつから国家は借金を返さなくてもよい、という理屈を採用したのでしょうか。


西洋と東洋の、
経済大国の最高峰であり、
生産年齢人口が拡大し続けた果てに豊かになった米国と日本ですら、
社会が上手くいっていないと思うのであれば、
一体どこの国が資本主義のあり方に希望を持てるというのでしょうか。


私たちは、
お金の観念と、それが現実を象る作用を注意深く観察しなければなりません。


人間としての理性が働く部分と、
働いていない部分があるのではないか。


それらを混同してはならないのではないか。


そもそもお金とは何なのか。

人間という存在の一体何が、お金として現われているのか。





僕は、

そういう事に気付き、経済と人間の理を一つとして生かすリーダーを創りたい。

自分がそうであることによって。

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