2013年4月23日火曜日
プレゼントとギフト
ギフトとプレゼントの違いを調べました。
「gift」
冠婚葬祭や贈答品など、やや改まった場で使われることが多い。割と高価なもの。
遺伝的に受け継いだものや、才能など神から授かったものという意味もある。
「Present」
誕生日やクリスマスなど、親しい間柄で大切な人への愛情や感謝を表すパーソナルな贈り物。今、現在という意味もある。今この一瞬を輝かせるために与えられているもの。
そういえばニール著『神との対話』でこんな記述があった。
現在(pre-sent)とは、前もって(pre)送られた(sent)という意味なのだ。あなたが探し求めている瞬間に、それどころか、探し求めようと考える前に、わたしは回答を与えている。一瞬、一瞬はすべて、神の輝かしい贈り物だ。現在はプレゼント(贈り物)なのだよ。
沖縄の事業再生家の樋口さんのツイートを思い出した。
https://twitter.com/trinity_inc
才能があるということは長所ではない、責任なのだ。同様に、与えられた能力、幸運、出会いは「ギフト」ではない。自分の使命を理解するためのメッセージであり、役割を果たすための武器である。
改めて考えさせられる。
恵まれた幸運や才能や出会いは、神(存在のすべて)から自分へのギフトだ。
現在は、神(存在のすべて)から自分へのプレゼントだ。
贈り物を、自分のために所有してはいないだろうか。
贈り物を、自分のための取引に利用してはいないだろうか。
なぜ贈与するだけでいいことに、
無償の喜びで分かち合うだけでいいことに、
自分は気付きつづけることができないのだろう。
僕は無量の贈り物で象られて存在しています。
人間関係と一期一会に向き合っているとき、
彼らのPresent(現在)にとって、僕というPresent(存在)は、
はたして恵まれたと言えるほどのGift(贈り物)になれているのだろうか。
Pay it forword.
石川県金沢市で働いていたころ、飛び込み営業してある社長に気に入られ、何度もご馳走を頂いた。俺に報いる必要はないと、その時に教えて頂いた「恩送り」という言葉を思い出す。
既に多くを貰っていた恩を、なぜ送り出すことなく、こんなに留めていたのだろうか。
今日は子供に沢山ふれあって、夜は親と妻と語りあって、
なぜかギフトとプレゼントについて自身に問いかけるべきだと強く感じた休日。
贈与は、人間としての知性と思いやりが試される、創造的で楽しい分かち合いですね。
所有と取引によって立つものを、いかに贈与に変換できるか。
自分の人生を深く見直してみたいと思います。
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