2015年10月4日日曜日

良き学び方のモデル。

良書のシェア、実名ブログ、共同体貢献活動。
この三点セットを学生に促したい。

学校ありきではなく、家庭ありきでもなく、
自分ありきで聞く、話す、読む、書く。

自分の願いありきの受容と自己表現を通じて、人と喜びを分かち合って、人間関係を築いて、営みを展開させて、そのプロセスを楽しみなさいって。

部活する暇ないかも。

そのように自分と社会が純粋なコミュニケーションをしていれば、人は勝手に触発される。気づかされる。学びたくなり、内発的に行動する。結果、健全に成長する。
そんな子育て、塾を試してみるつもりです。
まずは私が実践しています。


2015年10月2日金曜日

他者の生き方をリスペクトしているから本気で対話したくなる。

村上春樹のような自由な精神の職人的作家が好きだし、
岡本太郎のような全人間的に闘う芸術家も好きだし、
二宮金次郎のような社会を根本から再生するリーダーも好きだ。

自分の心にはいろいろな生き方のロールモデルがある。

一方で、そういう畏敬の念を抱くような凄い生き方ばかりではなく、もっと気楽な考え方を実践する人も好きだ。社会の構造的な暴力性から出来るだけ距離を置いて、ただ人間として健全な日々を過ごしたい。素朴な願いを大切にして、自分に正直になって自然体で生きようとする人たちに、私は好感を抱いている。

さらに言うと、私の両親も妻の両親も、日本の政治経済と社会常識を重んじながら(おそらく矛盾も感じながら)、愛する家族を守るために相当な努力してきた。本当に忍耐してきた人達だ。私たち夫婦は、保守的に誠実さを積み重ねてきた親の生き方の恩恵を、十分に受けてきている。他者の物語を重んじることで、人間社会に誠実であろうとし、自分の誇りと大切な家族の尊厳を守ろうとした。私たちの親は、私たちの親なりに、与えられた時代を精一杯に背負ってくぐり抜けてくれたのだと感謝している。そういう大人たちの生きた重みに敬意を覚えるようになってから、私は微笑みながら胸を張って人間を信頼できるようになった。

いろんな人達の生き方をリスペクトしているから、自分の真実を語りたい。自分の真実で受けとめたい。自分の生き方を表現して、相手が誰であろうとぶつかることを怖れず、この時代と対等に対話したいと思っている。

2015年9月30日水曜日

正直であろうとする人材を採用する。

日本最大の事業再生家である二宮金次郎はこう言いました。


『善人はなまくら刀のようなもので、悪賢い連中を使いこなすことができない。けれども賢い君主があってこれを用いれば、善政が行われて人民は安息する。悪人は、良く切れる刀のようなもので、悪賢い連中を良く使いこなす。愚かな君主はこれを用いなければその国を支配することができないが、そうすれば悪政が行われて人民は困苦する。だから、わが興国安民法のごときは、悪人を退けて善人を挙用しなければ、その功業を為し遂げることはできないのだ。』(佐々井典比古訳注『二宮尊徳の教え』「語録」巻一 33)
『近頃の世の中は、嘘でも差し支えなく渡れるようだが、これは相手もやはり嘘だからだ。嘘と嘘同志だから、隙もなく、滞りもない。ちょうど雲助仲間の付き合いのようなものだ。しかし、もし嘘を持って誠に対するときは、すぐに差し支えるはずだ。例えば百枚の紙から一枚だけ取っても分からないようだが、九十九枚目まで数えれば不足する。百間の縄を五寸切っても同様、九十九間目になって足らないのが分かる。人の身代でも、一日に十文とって十五文使い、二十文とって二十五文使っていれば、年の暮れまでは分からなくとも、大晦日になってその不足が現れる。この通り、嘘は誠に対抗できないものだ。』(佐々井典比古訳注『二宮尊徳の教え』「夜話」第十篇 264)
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優秀であろうとする人材を採用したいのか。
正直であろうとする人材を採用したいのか。
どちらの事業経営、国家運営が真に合理的でしょうか。

優秀であろうとするよりも正直であろうとすることの方が、個人も組織も社会も、比べ物にならないほど合理的だと私は思います。

株式上場する意味あるの? 後編

株式上場によって調達する資本のコストは年率10%を超えます。
その膨大な資本コスト発生の根源とメカニズムを論考したのが、沖縄の事業再生家で元インベストバンカーの樋口耕太郎さんです。

企業最大の費用は人件費ではありません

また樋口さんは2010年12月にこんなツイートもしています。
上場企業経営者の最大の悩みが、「なぜ上場してしまったのか?」という笑えない話はよくあります。
企業の発展と持続性を保障するのは、「量的」な成長ではなく、「質的」な成長以外にない。上場は前者を実現しようとする試みであり、企業の持続性とは無関係であるどころか、質を伴わない成長は衰退を早める可能性がある。
考えてみれば上場という仕組みはほんとうに不思議だ。仕組みを単純化して考えると、企業は上場によって資金を調達するが、株式市場から資本を調達するのは実質的に上場初日の一回のみ。その後延々と続く上場維持のための努力は、資金調達とはまったく無関係な企業にとってのコストである。
たった一回の、それもただでさえ高コストの資本を調達するために、永遠のコスト、それも莫大な費用を支払い続ける。サラ金利息がとても可愛らしく思える。世の中に株式上場ほど高価なお金は存在しない。サラ金からお金を借りて事業をしようとする経営者はいないのに、なぜ上場したがるのだろう。
上場するということについて、株式市場について、企業金融について。上場を考える企業経営者が是非理解するべきことをまとめたものが、僭越ながら私の「企業金融論(http://p.tl/GcEC)」。宜しければ参照下さい。従業員と顧客にとってより良い経営のために。
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樋口さんの上場企業の金融論は本質を突いていると思います。枝葉の議論は知りません。上場企業の末路は、人口爆発と永遠の国債発行(通貨発行)に依って立つマネー成長期待フィクションの右翼あるいは奴隷の集団に成り果てます。この悲喜劇は、決して陰謀論などではなくて、無邪気な私たち現代人が『不安と期待と善意の壮大な勘違い』で書き続けているに過ぎないというのが私の結論です。

株式上場する意味あるの? 前編

サイボウズ副社長の山田さんって正直で面白い方ですね。
資本市場に上場することの意味についての、山田さんの現状認識(諦観や責任感)はめちゃくちゃ正しいと思います。そして、糸井重里事務所の上場についての問答は秀逸です。株券は楽天やアマゾンで売ればいいじゃん。東証要らなくない?って発想も同意。篠田さんは、山田さんの上場企業経営者としての本音をよく聞いた方がいいんじゃないかな。こんな健全な上場企業経営者はそうはいない。たぶん、糸井重里事務所の上場は幸せな結果にはならないだろうなと私は眺めています。

「赤字って本当にいけないことですか?」東京糸井重里事務所 篠田CFO×サイボウズ 山田副社長対談
http://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m000323.html
上場会社を経営するのは、マネーゲームの中で生きていく覚悟をすることだと思っています。しかし、僕らはマネーゲームのために生きているわけじゃないですからね。 お客様や社員、パートナー企業からは喜んでもらっても、それは何の数値化もされないから、世の中の会計の基準からは評価されず、株主からは何をしているんだ! と言われる。それはちょっとどうなんだろうという思いはあります。
中略
そうなると、サイボウズさんにとって上場している意味はどこにあるのでしょうか?
正直、資金調達という意味ではほとんどないです。ただし、上場してみてからわかったんですが、上場会社が非上場会社に戻るのって難しいんですよ。本気でそうしようと思ったら、200億円調達しないといけませんから。そんなこと、上場する時には誰も教えてくれないんですよね。「上場しましょう。凄いことになりますよ!」と言うばかりで(笑)
中略
まあ、今はまだ"上場していること自体凄い"という言葉の信用力がありますからね。ただ、最近はシステムにより、ほぼタダに近いコストでパブリックにアクセスできるので、そうしたものを使ってお金を調達している非上場企業がたくさんあります。 僕は楽天やAmazonで株を売ってもいいと思っているんですよ。それこそ『ほぼ日』のホームページで売ってもいいですし。東証の言うとおりにしてお墨付きをもらうより、自分たちで責任を持って情報を開示し、審査も行い、ホームページで販売するという形にしたほうがわかりやすいかもしれませんよね。 
もしくは、株券をとにかく細切れにして、株主をとことん増やしてインフラとしてパブリックな会社になるか。どちらかに覚悟を決めないとやりにくいと思います。

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上場会社を経営するのは、マネーゲームの中で生きていく覚悟をすることだと思っています。しかし、僕らはマネーゲームのために生きているわけじゃないですからね。 

山田さんのこの二言には、上場企業経営者の致命的な矛盾と苦悩が詰まっているように思います。

2015年9月25日金曜日

投票数でもなく、資本量でもない、人物による人物への共感の質量。

政治の話が好きな人とほとんど気が合わないし、経済の話が好きな人ともほとんど気が合わない。でも自分は人間社会に大いに関心を注いでいるし、もっともっと社会の為になる自己表現をしたいと考えている。
借り物の社会物語に思考とポジションと表現を依存している人たちの言動は響かないんだよね。乱暴にざっくり言っちゃうとだけど。

これからの社会は、権威や資本を背景にした立場への信用力よりも、個人の正直な生き方とオープンなコミュニケーションによって流動的に開かれた「人物への信頼」が遥かに重要になっていく。この時代にシェアされるに値する生き方を世に突き出す(案外素朴な生き方)。そんな挑戦をする「世界に上場した個人」が、人間関係の生態系の重心にますますなっていく。

国際政治や経済ビジネスは争いの世界だから、より強者のグループや地位を得なくてはならない。そう考えているとしたら、とんでもない勘違いじゃないかな。立場や専門性に閉じこもる閉鎖的な生き様では「全人的な説得力」に乏しい。借り物の物語を着ている正当性の薄っぺらさは何となく分かってしまうものなのだ。

人間らしい健全な心と行動への、共感の質量。それが最大の社会的影響力となる時代。というかこれまでも、「ここぞ」というときの本気の人類は、そういうリーダー選抜をしてきたのだろうと思う。

投票数ありきでもなく、資本量ありきでもない、人物による人物への共感の質量。

立場の関係性や信用の力が1のパワーだとしたら、人物への共感と信頼の力は100の力を発揮する。人類の「ここぞ」が、日常的な感覚になる。そんな社会変化の真っただ中にいるイメージです。

2015年9月21日月曜日

セカオワのプレゼントと妻の子育ての共鳴。

昨日実家に帰省している妻とラインしていたのですが、
今NHKのセカオワ特集見てると。
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プレゼントって曲の歌詞がいい。
弱さをさらけ出していて、でも強くなりたいって気持ちもあって。
彼らは人の痛みがわからなくなることの怖さを知ってる。
それでは人を救えないことも。
中学生の過敏で悩みやすい頃に何かしらの救いがあるのは大きい。
実際にいじめられていたサオリさんが歌詞を書くことでリアリティと救いが生まれる。
人を損ない、不幸にするものはいっぱいあるけど、そのひとつが孤独感。
孤独そのものじゃなくて。
学校という閉鎖的な空間で周りの子たちと距離を感じること。
このことで私もだいぶ自分を損なった。
15歳の子たちに、ちょうど倍くらいの年齢のセカオワのメンバーが今こういう歌詞を書くことに意味がある。
同世代とか高校生が書いてもあまり意味はない。大人が書くことで子どもたちの救いになる。
そういう痛みを感じたことがない人、忘れた人には単なる中二病にしか見えないのかもね。
*****
この番組の感想を読んで、すぐに動画と歌詞を見ました。
歌に込められている願い。
選ばれている言葉のわかりやすさ。
確かに凄く良いと思った。
そういえば、と思いだす。
どんな子育てがしたい?
娘が生まれる前から、そんな会話をする度に妻はこう言っていた。
「人の痛みがわかる子になってほしい」
彼女の過去の痛みと今の願いが、セカオワのメッセージと共鳴したのでしょう。
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「知らない」という言葉の意味
間違えていたんだ
知らない人のこと
いつの間にか「嫌い」と言っていたよ
何も知らずに
知ろうともしなかった人のこと
どうして「嫌い」なんて言ったのだろう
流されていたんだ
「知らない」ことは怖いから
醜い言葉ばかり吐き出して誤魔化して
自分のことまで嫌わないで
ひとりぼっちになりたくない
ここにいてよ
その言葉言えなくって
心閉ざさないで
ひとりぼっちにさせないから
大丈夫だよ
その言葉返せるように
強くなりたい
「人生」のこと
あまりにも問題ばかり起きるから
難問解決プログラムなのかと思っていたけれど
だから楽しみにしながら
ゆっくり開けたら良いんだ
自分自身にその言葉を贈るよ
いつも忘れちゃうから
いま君のいる世界が
辛くて泣きそうでも
それさえも「プレゼント」
だったと笑える日が必ず来る
気付いたんだ
「プレゼント」みたいなものなんだって
何十年か好きに生きていい特別なプレゼント
ひとりぼっちになって
気付いた
本当は大切な人がたくさん
いるんだってことが
ひとりぼっちにさせないから
大丈夫だよ
その言葉返せるように
強くなりたい
SEKAI NO OWARI 『プレゼント』
□□□□□□□□□
この歌詞にある「強くなりたい」という動機。私も同じです。