2015年12月17日木曜日

知性の公園をつくりたい。

自分の住む街に「知性の公園」をつくりたいと思ってます。

住民が主に実名で推薦する「今の私の良書」を集めて本棚に置いてゆき、会員個々の主体性に委ねて、緩やかに本をシェアします。無い知を求めて足を運ぶのではなく、各々の内に有る知を開いて分かち合う図書室です。

皆が心に置いている本たちが集う場所。TEDのような情報発信もする知的交流センター。子育てや介護にも良書をシェアしながら寄り添いたい。そんなイメージです。

良く分かち合えば自ずと良く学ぶ。そう信じて、愉しく気づきを分かち合うムード、相互理解を深める機会を育くみたい。

先の話ですけどね。

2015年12月10日木曜日

再び注目されてほしい二宮尊徳。

先日こんなツイートを見つけました。
言い訳せずに勉強しよう。二宮尊徳は農民に学問は不要だと火を使うことを禁じられたが、農業をしながら自分で菜種を育てて油を取り、その灯で学んで名を残した。こんな厳しい状況でも学ぶことで人生を大きく変えた人がいるのだ。そう考えると、自分はどんなに恵まれた環境にいるのかと思えてくるはずだ。2015/12/05 21:00
メンタリストDaiGo 

私が歴史上の人物のなかで最も敬愛するロールモデルは二宮尊徳です。
日本最大の共同体再生家であった二宮金次郎の生き方と言葉から実に多くを学びました。たとえば、人道と悟道についての捉え方も、気持ちの良いほど的を射抜いていると思います。

『悟道とはただ自然の行くところ見るだけであり、人道は行き当る所まで行くべきものである。』
『悟道と人道とは混合してはならない。悟道はただ、自然の行くところ観じ、そして勤めるところは、人道にある。』
『善知識(僧侶)を尊び、娼妓(しょうぎ)を賤しむのは迷いである。そうはいってもこのように迷わなければ人倫は行われない。迷うが故に人倫は立つのである。だから悟道は人倫に益はない。そうであっても、悟道でなければ、執着を脱する事はできない。これが悟道の妙である。』
『人倫はたとえば繩をなうようなものだ。よりがかかるのをよしとする、悟道はよりを戻すようなものだ。だからよりを戻すことをもって善とする。』
『しかし、迷いといい悟りというのは、まだ徹底していない。その本源を極めるならば迷いも悟りももともとない。迷いといえば悟りと言わざる事を得ない。悟りといえば迷いと言わざる事を得ない。本来迷いと悟りで一円の世界である。』

一円融合は、二宮尊徳の思想と世界観を最も象徴した言葉です。この世で相対するものはすべてが互いに働き合って存在を支え、一体の円として存る。戦後最初の一円札に金次郎を選んだのは誰だったのでしょうね。数百の農村の再生を手掛けた彼の精神を以て、敗戦した日本国家の再生を願ったのではないでしょうか。

彼の施した報徳金融は、自然人による自然人のための、永続的な再生クラウドファンディングです。
再び注目されてほしい人物です。

2015年11月26日木曜日

3歳の娘の夢。

娘もブルーハーツの夢が好き。CDプレイヤーやスマホYouTubeで流しながら、一緒に歌って踊ってわいわい楽しめる曲の一つだ。
さきほどのこと。
『おれにはーゆめがあるー』という歌詞が流れたところで、ふと聞いてみた。
「ねぇ○○。○○には夢あるの?」
「あるよ」
「なになに?」
「よろこぶとか、あそぶとか。こまるとか、なくとか」
「ハハ! そうだな」
思わず抱きしめちゃいました。
三歳児の娘の方がわかってるみたい。それにしても可愛いです。

結婚する二人が大切なこと。

結婚する二人が大切なことは何だろう。

昨日は妻とそんな話をした。
身近に上手くいっていない例が増えてきた感があったところだ。
彼女の答えは、

「一人でも幸せに生きられること」

本当にその通り。

あなたといると私は幸せになれる。一緒に幸せになりたい、ではダメ。
あなたとなら私は不幸になっても構わない。一緒に旅しようよ、がいい。

死ぬ思いで関係を再生させた二人の人生訓です。

2015年11月17日火曜日

妻が『セムラーイズム』を読んだこと。

先日、妻が企業経営ノンフィクション『セムラーイズム』を3日かけて読みました。私に何ができるかな?と、家族の将来のためになる何かをしたいと意見を聞いてくれたので、これを読んでみて欲しいと言った。新卒三年目、証券会社に勤務していた頃、それまでの私の仕事観と事業観をぶっ飛ばした本だ。

妻は文学部だ。小中学生の時から日本文学が好きだった。読んだ本は去年も今年も百冊を超えるが、大半が小説。敬愛するのは村上春樹とレディガガ。もう一人加えるとすれば岡本太郎。文芸だ。社会経済や経営の話には弱い。興味が湧かない。同じ文系でも政治経済学部から金融業を選ぶ私とは対照的な感性だ。

そんな彼女が、読みづらい読みづらい言いながら読んでくれました。嬉しかった。



二人の未来のために自分ができることは何だろうかと、真摯な関心を持って聞いたこと。私が重んじたいと考えていることを理解しようとしたこと。私の思う『二人のために』を信頼して、自分の馴染みのない世界のことでも、自分のこととして受けとめようとしたこと。その心を、私は重んじたいと強く感じています。

読む本に読む価値があるから、読むんじゃない。相手の重んじる心をよく理解したいから。大切な人の、大切にしたいことを、大切にしたいから。だから本をシェアする。よきパートナーであろうとする心と行動に価値があるんだと思います。

感想の要約。
読みづらかった。長いし。ところどころ面白かったけど。昔っからあなたが色んな言い方で言ってきたことで、特別新しい内容ではなかったよ。

まぁこの感想も嬉しかったりします。

2015年11月12日木曜日

自由に生きるということ。

私は私の好きなことを好きなだけやるんだ、みたいな自由って、大して自由じゃない。

自分の好き嫌いに関係なく、私にご縁があると思えば何事もやるよ、その時々の私の好きなようにね。

本当に自由な人ってそんな感じ。


自由とは自立であり、その心の奥は、どっちでも構わないよっていう余白なんじゃないかな。

どっちでも構わないよっていう余白。しかし今の私はこっちのが良いんだよっていうユニークさの自覚。これなら命懸けで現実にしたいなっていう覚悟。

自由に生きるってそういうこと。

2015年10月28日水曜日

なぜ勉強するのか。

勉強する意味がわかりません。これが将来何の役に立つの?そう中学二年生に聞かれたとき、先生や親たちはどう答えるだろう。

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学生「算数はわかります。足し算とか掛け算とか。でも、この数学の問題が解けるとそれがどう日常の役に立つんですか?」
学校の先生「テストとか受験とか」
学生「はぁ」(それ日常じゃないだろ)
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学生「去年そんなことがありました」

「ははは、そりゃその先生の日常だよね」

学生「先生。昭和のことや、戦争や政治のこと。経済のことを勉強するのは、何となく分かります。でも何で、織田信長がどうだの、大昔の人の生活や文化がどうだの、学ぶ必要があるんですか?」

「そうだな、役に立ちそうもないよね。実際、数学も歴史も他も、役に立たない勉強が大半だ。
今は分からなくても、いつか役に立つ時がくるよ、とか。今与えられたことを一生懸命やることに意味があるんだよ、とか。少なくとも頭の発達に良い、とか。そうやって大人たちは苦しい説明をしようとするけどね。」

「まず、この勉強は将来の自分に役立つかどうか、という考え方をやめた方がいい。それじゃパワーが出ない。納得しないまま、将来に役立つという曖昧な言葉を信じて無理に取り組んで頑張っても、あとあと報われなければ裏切られた気持ちになる。また、できないと自分の無能さを恥じたり嫌悪する。」

「勉強をするとき、自分に役立つかどうかよりも大事なことがある。そのような勉強を重んじる人が、目の前にいるということ。そのような学校の勉強を、重んじる親や社会の考えがある。その事実を、重んじることだ。」

「目の前の人が重んじたいことを、まずは信頼しよう、よし受けとめてあげよう、そういう姿勢で行動することが大事なんだ。
自分の将来に役立つと思えないときは、もう実際に役立たない可能性をOKする。それでも勉強してみる。それを重んじる人の心を、重んじるために。」

「自分の努力が、自分のためじゃないとき。理解できない他人の考えを重んじるためであるとき。その姿勢は立派だよ。自分に得だと納得できることを頑張るよりもね。
それは、他人のために勉強するというわけでもなくて、自分と他人が対等で誠実に対話するために今は勉強する、ということなんだよ。」

「そういえば、先週貸した本は読んでみた?『14歳の君へ』って本。この中にある“勉学“って箇所を読んでみるといいよ。学ぶとはどういうことか、わかりやすく書いてある。まさに今のように問いかけることが、本当の考える勉強なんだよ。」

この後も続いて、教育基本法について語り合う。この法律の前文、第1条教育の目的、第2条教育の目標。それらの文言は、家庭教師として初回訪問したときに既に印刷して渡してある。それを出して、一緒に読んでみて、彼に思ったことや気になったことを聞く。
人格の完成って何だろうね。真理を求める態度って。平和で民主的な社会って。心身ともに健康な国民ってどういうこと。

そんな感じで、なぜ今勉強するのか、大真面目に考える材料を与える。教育基本法に込められているであろう大人たちの願いに、一緒に思いをはせる。私自身の考えと願いとともに。

そこまでやって、教育だと思います。

テスト前だってのに、テスト勉強に身が入らなくなる。何でこんなこと勉強するんだろうなんて、その意味に納得したがって、手が止まる。そんな若者を教えることにやりがい感じます。