2013年2月9日土曜日

現代社会の考察① 人口統計が示す社会変化

いきなりクイズです。
日本の総人口って何人くらいでしょう?


これは簡単ですね。
最新の正確な値ですと、1億2746万人。


その全ての日本人を年齢順にずらーっと並べたとき、
ど真ん中の人の年齢っていくつだか分かりますか?


ちなみに・・・ど真ん中の年齢を中央年齢といいます。中央値(median)は平均値(average)と比べてばらつきに左右されにくく、直観的に代表っぽい値を知りたい場合は優れています。国連の世界各国の人口統計ではこちらを使用しています。


答え、44.7歳。


なんと日本は世界一の高齢社会でございます。 ちなみに2位ドイツ44.3歳、3位イタリア40.7歳。


さて、下のグラフを見てください。
1950年から2010年までの中央年齢の推移です。



出所:国連 World Population Prospects: The 2010 Revision
(国連のデータが使い放題の便利な時代ですね。エクセルで自分でつくるのってちょいと大変ですね)


ここから何がわかるでしょうか。いろいろ想像してみてください。

団塊の世代が生まれたのは1950年頃。
日本で最も出生数が多かった時代です。(250万人超。2012年現在は戦後最小103万人)
その頃はなんと22歳。
つまり今の中央年齢の半分の若さ。
大卒年齢ほどの彼らが社会において多数派だったわけです。


そして、僕の親父が生まれたのが昭和36年(1961年)です。
東京タワーはありましたが、東京オリンピックはこれから。
まさに時代は「三丁目の夕日」。このストーリーの舞台は1955~1964年なので。
その頃の中央年齢は25歳。
ざっくり言うと、日本人全体の雰囲気は25歳だったんだろうなーというわけです。
幼少の頃に戦争を体験して青年になった彼らは人口のど真ん中に位置していた。当時の日本の大衆文化と経済において彼らこそ最も勢力を誇って牽引したと想定できます。

そしてその下からは若者がどんどん社会へ出てきて、日本経済は高度成長を謳歌し続ける。そういう空気が、中央年齢のグラフからもなんとなく伝わってきませんか?


そして今。ど真ん中は45歳です。
もう子育てが終わる頃。壮年期が終わり、中年に突入しようかという頃。
人生の酸いも甘いも経験してきた彼らの精神性が今の日本社会の重心です。
彼らの意識が牽引する文化と経済は、かつてと比べると精神年齢が相当高くなっています。

評判の高さではなく本物のクオリティを。
新しさではなく普遍性を。
量よりも質を。
期待よりも誠実と真実による信頼を。
新規開拓で売上拡大ではなくリピーターで安定高収益を。
成長ではなく持続可能な循環を。
物質的豊かさではなく人間関係による豊かさを。


物事のあり方と重んじるべき質が変わって当然なのです。
日本は22歳から45歳になったんですから。

重心に位置する年齢が成熟すれば、社会全体のありとあらゆる雰囲気が成熟します。
豊かさの意味合いが大人になって、
文化も経済もかつてないほど人間性の成熟を問うものが本流になってきています。

僕は早稲田の政治経済学部出身です。
証券会社に勤めていました。その土台の上で、
なお今も経済について誠心誠意考え続けた末の結論として、
もはやGDPを指標にした成長を目指すべきではありません。
ここははっきりと言い切りましょう。
根拠までは示しません。長くなりすぎますので。今回の社会の年齢うんぬんの話は、一部の一部です。

22歳から45歳になった我々の経済活動はもはや量よりも質なんですね。
お金の流れは、
量的に成長しなくていいんです。健全です。
問うべきは流れる量ではなく、流れ方の質にあります。
持続可能な循環、という視点が大事です。

ここを書くとあまりに語りたいことだらけなのですが、別の機会に託します。(僕の人生における最大の関心事の一つなのですが、なんせ資本主義とは?お金とは?という問題に関わり、タイトルのテーマをあまりに広げすぎてしまう。)


さて、話を人口統計に戻します。

100人の村っていう話をご存知でしょうか?

統計的な事実を、もし100人の村だったらそのうち何人はどうである、という表現で語られ、直観でとてもわかりやすいんです。世界中で話題になり書籍もベストセラーになりました。検索すれば出てきますから、ぜひ調べてみてください。

このアプローチは直観的理解を促すのにとても優れています。
次回、100人の村に例えて日本の大問題の一つを語りたいと思います。

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