自分や社会が変わるきっかけとなる質の高い情報ってどんなものでしょう。
もっと理想の自分へ。
もっと理想の社会へ。
どのように変わってほしいかは置いておいて、
「変わりたい」という思いは、個人レベルでも社会レベルでも皆が皆もっていることです。
だから政治家は声高に言います。
「改革なくして成長なし」 「We can change!」
変わること自体は全ての人が賛成ですから、反対のしようがない。
リーダーが本当に問うべき、そして示すべきは、
なぜ変わるか⇒どう変わるか⇒何を変えるか、なのですけどね。(ゴールデンサークル)
話は戻して・・・
人間が変わるとき、
社会が変わるとき、
「情報」は大きなきっかけになる。
何故なら認識を変えるから。
私はこういう人間である、という普段から思考の前提にしている「わたし」が、実はちょっと違うかもしれないと気付く。
私はこういう世界で生きている、という普段から思考の前提にしている「世界」が、実はちょっと違うかもしれないと気付く。
つまり情報が自分を変えるのは、思考・行動・習慣の前提にある自己観と世界観を変えるからです。
現代の政府や大手企業が情報発信とマスメディアを重要視するゆえんです。ヒトラーもその悪例でしょう。
それだけ情報は大事です。
あなたは、なぜ変わりたいのか、どのように変わりたいのか、何を変えたいのか。
社会を、なぜ変えたいのか、どのように変えたいのか、何を変えたいのか。
良くも悪くも、既存の自己と世界の観念を衝撃で壊してくれ、さらに再構築する際の材料になるからです。
良質な情報を貪欲に求めていった方が間違いなく自由で豊かな人生になるでしょう。
周りを見渡してみますと、固定観念に縛られているケースは相当に多い気がします。
~ねばならない、という不安を基盤とした世界観・自己観が現代人の心をガチガチに固定化しているようです。もちろん僕も含めてですが。
認識を改めれば個人も社会も変わります。
封建国家から民主主義の変革はまさにそう。
活版印刷に端を発するメディアの革新は、質の高い情報流通・蓄積・コミュニケーションを加速させ、世界を真実への気付きにいざなってきた。人間社会を発展させてきたのは、
人格を担保にした情報の流通・精査・蓄積でしょう。
今は素晴らしいことに史上最強のメディア、インターネットがある。
「認識を改める」情報の増加は加速し、いずれ臨界点を超えそうです。(ティッピングポイント)
スピリチュアル系で語られるアセンションという言葉と神秘性はあまり好みませんが、情報によって自己と世界の認識は大きく変わり、既存パラダイムのはらむ潜在意識の怖れの克服によって、次世代の生き方と社会モデルがはっきりと開けると思います。
僕には新しい生き方と社会モデルが少し見えています。
自己観と世界観は選択可能である、ということに気付いて実践してきた人は、正直であるがゆえに自由で面白い人生を送ります。自分と世界を問う試みに真っ最中。
彼らの発信する情報は、経験的ゆえに真実の純度が高く、心を動かすパワーがある。
僕はこのような情報を質が高いとみなします。
認識を高めてくれる情報の質は見極めたいものですが、センサーの精度は受け手の生き方によりますので、結局自分が問われるところです。
自分が変われば選択・採用する情報は変わりますし、
選択・採用する情報が変われば、世界と自分の認識変化を通じて自分が変わる。
これは僕の経験的に真です。
あぁ書いてて今気付きました。
情報を求めるとき、
あなたは何を求めていますか?
それは何故?
情報の質の前に、実はその問いの質が問われています。
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