2013年3月1日金曜日

人が人を育てるということ

家庭で大切なことの一つとして
子どもの教育があります。

人が人を育てるということですが、
それってつまり、どういうことでなのでしょうか。

例えば子育てにおいて、
あなたが最も重んじていることは何ですか。

家庭教育のゴールを、どのようにイメージされていらっしゃいますか。


僕は一児の父です。
去年生まれてくれた娘のためにも、
そんな問いにちゃんと答えられる自分でありたい。
妻の妊娠が分かった頃から、
以前にも増して教育について深く考えるようになりました。

近年、文科省は「生きる力」を謳っています。
そのコンセプトにおいて、
新学習指導要領の全面実施がなされ始めました(小学校:平成23年度、中学校:平成24年度、高等学校:平成25年度の入学生から実施) 興味のある方は生きる力と題されたパンフレットをご覧ください。

新しい学習指導要領は子どもたちの現状をふまえ、
「生きる力」を育むという理念のもと、
知識や技能の習得とともに思考力・判断力・表現力などの育成を重視しています。
これからの教育は、「ゆとり」でも、「詰め込み」でもありません。
次代を担う子どもたちが、これからの社会において必要となる「生きる力」を身に付けてほしい。

そのような思いで新しい学習指導要領を定めました。
「生きる力」を育むためには、

学校だけではなく、ご家庭や地域など社会全体で子どもたちの教育に取り組むことが大切です。
子どもたちの未来のために。
新学習指導要領、スタート。


だそうです。

次に最近の記事を一つ。

2012年5月8日、読売新聞より抜粋
就職活動の失敗を苦に自殺する10~20歳代の若者が、急増している。
2007年から自殺原因を分析する警察庁によると、
昨年は大学生など150人が就活の悩みで自殺しており、07年の2・5倍に増えた。
警察庁は、06年の自殺対策基本法施行を受け、

翌07年から自殺者の原因を遺書や生前のメモなどから詳しく分析。
10~20歳代の自殺者で就活が原因と見なされたケースは07年は60人だったが、08年には91人に急増。
毎年、男性が8~9割を占め、昨年は特に学生が52人と07年の3・2倍に増えた。


就職活動の失敗を理由に150人もの人が自殺しています。


あえて「生きる力」と「自殺」の両極のワードで取り上げてます。


就職が決まらないことで人生は終わりだと絶望する若者が増加している現実があり、
その一方で、
生きる力に焦点を当てた教育改革をする文科省の立場がある。



ただ世界を見れば、
毎日25000人が餓死している現実がありますね。

彼らは何故生きられなかったのでしょうか。
生きる力がなかったからでしょうか。
生きる力って果たして何でしょうか。
そもそも生きるとは何でしょうか。

問いっぱなしで続けます。

続いて、僕が実際に読んだ本。

なぜか3兄弟全員が東大合格! 「勉強しろ」と絶対言わない子育て  後藤眞智子著

参考になりました。
良い大学に入れる目的なんてなくとも内容がいいです。
勉強しろと言わずに、
3人とも東京大学に入れるだけの学力が身に付いたのは、もはや偶然ではありません。
家庭教育の質を高めている日常的な何かが必然としてありました。
後藤さんの母としての考えと振る舞いにヒントがあります。
親も子も、
良い大学に入るという手段を一切目的化せずに、
結果的に3分の3という100%の確率で、
最高峰の大学に入れた家庭教育の実話だからリアルで面白い。

あと、おまけで安倍さんの公式サイトにある教育再生の項目
・・・一応見とくだけ見といていいかなと。首相ですし。



ここまで読むうちに、
いろいろと思うところがあったと思います。


僕の意見はこうです。


家庭教育のゴールとは、子どもが社会から自立すること。


自立とは依存しないということで、
つまり親の後ろ立てがなくなっても全く問題ないこと。
全く問題ないとは、
一人でも時と場合を問わず、人間関係を築いて深めて、幸せに生きていけるということ。
自由意志の選択で、自分を誇らしく思える仕事を見出して働けること。
そういう自信がある精神状態であることを、自立と考えます。

これをもう少し突き詰めると、
家庭からの自立ではなく、社会からの自立になります。
どの会社であろうと、
どの国であろうと、
どの文化であろうと、
どの時代であろうと、
普遍的に通用する人間であること。

教育基本法第一条、教育の目的でいう「人格の完成」はそういうことです。僕の考えでは。
つまり既に「生きる力」は示されているんですね。
法律のトップ項目で。

内村鑑三の名著『代表的日本人』(中江藤樹)からの引用です。
『私どもが学校教育で学ぶことは、力は正義ではないこと、天地は利己主義の上に成り立ってはいないこと、泥棒はいかなるものでもよろしくないこと、生命や財産は結局のところ私どもにとり最終目的にはならないこと。その他多くのことを知った。学校教育の目的について、第一に、私どもは、学校を知的修練の売り場とは決して考えなかった。修練を積めば生活費が稼げるようになるとの目的で、学校に行かされたのではなく、真の人間になるためだった。それを、真の人、君子と称した。さらに私どもは、同時に多くの異なる科目を教えられることはなかった。昔の教師は、わずかな年月に全知識を詰め込んではならないと考えていたのである。おもに教えられたのは「道徳」、それも実践道徳であった。』
これがまさに結果的に「生きる力」になるのではないでしょうか。
養うべき根本は人格であると信じます。
相当に高いゴールです。
僕自身が人間として修練を積んでいる最中ですから。

しかし人は人に育てられる以上に、
自分で自分を育くむ存在です。

外部から導けるのは、きっかけでしかありません。
教育を過信し、育てる立場であることに驕ってはなりません。
心を強制することも、精神の成長をコントロールすることも出来ないからです。
それが出来るのは本人の信念だけです。

大人が若者にできることは、
自分で自分を育むことを通じて、
自分で自分を育む精神を伝えること。

親が自らの人間的成長と社会貢献に本気で取り組んで生きる日常そのものが、
子供にとって最高の教育環境です。
子供にとって最大の糧であり誇りであり財産です。
今日の自分の生き方が、家庭教育のスタートでありゴールだということです。




人は生き方でしか、本当に意味のある水準で伝えることは出来ない。




道徳。
誠実。
愛。

学校の授業時間を増やして本当に教えられますか?
優れた教材があれば本当に伝わるのでしょうか?

違いますよね。

そのような価値を自らの信念として行動している人だから自ずと伝わるのであって、
そうでなければ伝わらないものです。
どれだけ時間とお金をかけても不可能です。
人間の最も深い価値は、人間の偽りのない生き方でしか伝えられません。
スティーブジョブズの内にある"Think different"の価値が、
彼の偽りのない生き方によって世界中に伝えられたように。




子どもに勉強が大切だと言ったところで勉強しません。

自分自身が勉強は大事であると信じて、
現に日々そうしていて、
楽しく学んでいて、
有意義に活用して人を幸せにして、
感謝されて自分も喜んで、
幸せな人間関係を築いている。
そういう現実のプロセスを見て聞いて感じとれた上で、
「勉強が大切だぞ」って言うから伝わるのではないでしょうか。


もはや方法論ではありません。

人が人を育てるということの深さについて、
私たちはもっと考えなければならないのではないでしょうか。

家庭人としても、
次世代の社会を担う人間を育てる大人としても。

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