2013年3月3日日曜日

死を思うことと生きること

週末のフールという本をご存知ですか?

伊坂 幸太郎さんの小説です。



amazonの内容紹介より
八年後に小惑星が衝突し、地球は滅亡する。
そう予告されてから五年が過ぎた頃。
当初は絶望からパニックに陥った世界も、
いまや平穏な小康状態にある。
仙台北部の団地「ヒルズタウン」の住民たちも同様だった。
彼らは余命三年という時間の中で人生を見つめ直す。
家族の再生、新しい生命への希望、過去の恩讐。
はたして終末を前にした人間にとっての幸福とは?
今日を生きることの意味を知る物語。





かなり面白いです。

世界の終末という背景を同一にした短編集で、まだその二つ目を読み終えたばかりですが。




死を意識した人々の心の変化を以て、

生き方や人間関係のあり方を問う小説のようです。


作品に関する著者のインタビュー記事があります。(s-woman.netより)

――やられました。パニックのど真ん中ではなくて、隕石衝突の3年前の、なぎの状態を描くという設定が、ユニークですね。

「そうですか! そこは僕にとって一番のキモなんですよね。パニック映画や世界の終わりを描く作品はたくさんあると思うんですが、そうじゃなくて、あと3年で地球が終わるという、結構微妙な状態を描く。その小康状態を描きたい、というのは強くあって。
いきなりですけど、僕自身も事故にあったりして、明日死ぬかもしれないじゃないですか。そうじゃなくても、いつかは必ず死ぬ。それこそ3年後に死ぬかもしれない。それなのに、今、全然ビクビクしないで普通に生きていますよね。別にパニックに陥ったりもしていないし。それって“3年後に隕石が落ちてくる”というのと、どこか似てると思うんですよ」


伊坂さんは「生きることと死ぬこと」を一番大きなテーマにしているそうです。


生きるとはどういうことなのか。


それは死を思うことによって鮮明に問うことが出来るのかもしれません。

終末のフールを読んでいて思ったのですが、
死という大きな運命を受け入れると、
実は不安がなくなって問題を先延ばししない決断をしやすくなり、
人は自分の心にどんどん正直になっていくのではないでしょうか。
同時に人間関係も人生も、本来の自然なあり方や自由さを取り戻していくのだと思います。


と、ここで話は終わりません。

死を思うことは、もっと深く、濃く、起爆的な意義すらありえるようです。


スティーブジョブズの有名なスピーチをご存知でしょうか。
2005年6月12日に行われた米国スタンフォード大学の卒業式での彼の言葉はとても素晴らしいものです。彼が世界中から尊敬される経営者である所以が垣間見えるものとなっています。

youtubeで検索すればすぐ見られます。内容は三つです。

ひとつ、点と点を繋ぐことについて。
ふたつ、大切なものとそれを失うことについて。
みっつ、死について。

三つめの死について話は次の様に始まる。

わたしは17歳のとき次のような一節を読んだ。

「毎日を人生最後の日であるかのように生きなさい。
やがて必ずその通りになる日がくるから」

学生(笑)

それは私にとってとても印象的でした。

それから現在に至るまで33年間、わたしは毎朝鏡を見て自分に問いかけてきました。


「もし今日が人生最後の日だとしたら、
今日やる予定のことを私は本当にやりたいと思うだろうか」と。

それに対する答えが"NO"の日が幾日も続くと、
そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。



このスピーチの最良の評論が、
沖縄の事業再生家である樋口さんのツイートにあります。


樋口耕太郎 ‏@trinity_inc

スティーブジョブズが亡くなったという報道を聞いて、「CEOを退任してから随分突然に亡くなってしまったね」という人がいたのだが、それは解釈が違う。彼は自分の命の限界まで、自分が心からやりたいことをし続けた人物なのだと思う。もちろん自分の死期が近いことも知っていただろう。

「自分の死が間近に迫っているのであれば、仕事などせずに、本当に好きな、やり残したことをすれば良かったのに」という人もいた。これも解釈が違う。彼は、人生があと一日だけ残された日に、心からやりたいことを彼の「仕事」にしていただけだったろう。

彼の死がこれほど大きな衝撃を世界中に与えている理由は、アップルが生み出した数々の洗練された商品群にも増して、彼の鮮烈な生き方が多くの人の強い共感を生んでいるからだろう。そして、彼の「生」がこれほどまでに鮮やかだったのは、彼が17歳のときから死に向き合い続けたからだと思う。

彼の有名なスタンフォード大学でのスピーチで、彼が17歳のときに強烈な印象を受けた言葉を紹介している。「毎日を人生最後の日と思って生きれば、いつか必ずその通りの日がやって来る」

彼が非凡だったのは、その日から恐らく昨日まで毎朝鏡を見つめて「もし今日が人生最後の日だとしたら、今日自分がしようとしていることを本当にしたいだろうか?」と自らに問い続けたことだろう。

彼は、世の中の多くの人が忌み嫌い、向き合うことを避け、意識からできるだけ遠ざけようとする「死」という概念を、自分の「生」を最も鮮やかに機能させるための最良のツールとして携え、人生を歩んできた。

彼はスピーチの中で「死はおそらく生の最高の道具」と語ったが、私はこの一節がこのスピーチ最大の名言だと思う・・・不思議なことに、これだけ彼の話題一色のネット上で、誰も引用していないようだが。

「死は生のチェンジエージェント」自分自身を生きるために、人を心から愛するために、社会に真に貢献するために、覇道ではなく王道を歩むために、障害となる人生の数々の荷物・・・他人の価値観、しがみついている固定観念、数々の執着、虚栄や恐れなどを手放すために最も有効な道具でもある。

彼のスピーチの一節にはこうあります。
「自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。

…何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。

…そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。

…君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。」

死を見つめよう。生を燃え立たせるために。死は忌まわしき概念ではなく、生に命を吹き込む最良の友人だ。今日は自分の最後の日として相応しい一日になるだろうか?

(スティーブ・ジョブズに捧げる)




「今日を生きる」ということ。

それは誰もがしていることです。

しかし大事なことは、それをどれだけ深くしているのか。

今が良ければいい、
とはまるで違いますよね。

「最後の日として相応しいだろうか」と
死を思って自分という存在に問いかけ、
未来も過去も背負わせたすべての重心を「今日」「自分」にのせて生きるということ。


世界が最も覇道に満ちていた帝国主義の時代、
インドを独立に導いたガンジーはこう言いました。

Learn as if you will Live Forever,
Live as if you will Die Tomorrow.

永遠に生きるかのように学べ。
明日死ぬかのように生きよ。


どのような時代であろうと、どんな分野であろうと、
このように生きる人たちが次世代を切り開くのではないだろうか。


自分の死を思うレンズを通じて、
自分を生きるということがより見えてくる。

見えてくるから、開けるのだろう。

それを突き詰める人生を選択するのであれば、

今置かれている苦難を乗り越えていけるだけでなく、

人々の希望を託される存在として輝き、

ひょっとしたらあなたこそが世界を変えることができるのかもしれません。


死を思うときに重要なことは、
自分に問う生き方を選択すること。

自分の外側と未来に答えを追い求めて生きるのか。
自分の内側と今に問いかけて生きるのか。


僕はこの二年間で前者から後者になって世界観と生き方は大きく変わりました。

人生で機能するのは「答え探し」ではなく「問い」である。
そう実感しています。

その結果はこれから現れると信じます。


偉大な先人達が述べてくれているように、
「今ここの自分」というすべてを秘めた可能性に対して、
死を思うほどに重心をグッと寄せて、
真っ向から問う日々を続けていこうと思う。

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