アメリカンジョークをひとつ───
In ham and egg, the hen is only participating, but the pig is really committed.
ハム&エッグにおいて、メンドリ(雌鶏)は参加しているだけだが、ブタはガチでコミットしている。
村山昇さんのグロービスへの寄稿記事より抜粋です。
さて、ここに2種類の人間がいて、持論を語っています。
トン氏は20代でサラリーマンをやめ、自分が志す道で起業しました。当初から「拡大ありきの商売は志を濁らせる」という信念で、身の丈規模の自営業を続けて20年が経ちます。彼は言います───
「会社員っていうのはどこまでいっても、仕事がどこか“他人事(ひとごと)”になるんだね。何をやるにしたって会社から金が出るわけだし、それで儲けても会社の金、損を出しても会社の金だからね。リスクとリターンは結局、会社のもの。会社員は部分的にかかわるだけで、仕事が深い次元で“自分事(じぶんごと)”になることはないさ。“仕事のオーナーシップ”が浅いっていうかね。こっちはコピー1枚取る費用だって自腹。真剣さが違う。ほんとうの仕事の喜びは、リスクもリターンも自分が全身で引き受けるところでしか生まれないんだ。
企業なんてものは、得体の知れない経営意思、それはたいてい組織存続が目的化した利益追求意思だろうけど、そのもとにみんな働かされているんじゃないかな。みんな自分の評価があって、決められた枠の中のゲームで“よい点”を取るのが仕事になってる。その点、おれの仕事は、おれの想いの表現活動そのもの。働きざまが生きざまだよ」。
他方、ケイ氏は、ある企業に勤めて20年超、新規事業開発の分野で百戦錬磨。事業プロデューサーとして社内の信頼も厚い存在です。彼は言います───
「会社のリスクで、自分の思ったことをできるなんて最高のサラリーマンさ。一個の人間の信用なんて小さいし、そのちっぽけな信用で背負ったリスクで負けようものなら、立ち直るのにどれくらいの時間がかかるんだい。人生、“レバレッジ(てこ)”を利かすことを覚えなきゃ。会社をいい意味で“利用できる”人間が、幸せな職業人なんだと思う。サラリーマンにだって深い仕事はたくさんあるよ。
それに、仕事のリスクを会社に肩代わりさせることで、プライベート生活が守られるわけだ。仕事のオーナーシップを100%自分で持ったら、必ずプライベートに影響が及ぶ。持ち家より賃貸で暮らすほうが、人生全体でみれば柔軟性や広がりは出る。そういうしなやかさがぼくの生き方だ」。
……さて、あなたはトン氏、ケイ氏、どちらの持論に賛同するでしょう。
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先ほどの村山さんの記事は、さっきシェアした妻に言わせると
「うーん、言ってることは合ってるけどあんまり好みの文章じゃなかった。わかりやすいけどやや過激というか」
「余白があるように見せて、実はない」
「どっちがいいとは言わない、って書いてあるけど明らかに前者を意識してるし」
とバッサリ。笑
妻が読んだ通り、それが村山さんの譲れない本当の主張だから。
メンドリの参加と豚のコミットの文章から思い出すことがあります。
「俺はこの会社のトップ、つまり自分が社長である意識で働いている。」と何度も飲みの席で言っていた先輩。彼はそのつもりだったようだが、それから1年ほどで、次の就職先を決めてから辞意を伝え、引き継ぎも不十分にドタバタと辞めていった。社長の意識だなんて格好良く言いながら、全人的なコミットがなかったのは明らかです。
時々思うが、多くの人は何で黙ってコソコソ転職活動するんでしょうか。次の会社に内定が決まってからじゃないと辞められない。そう考える人の割合は、私の実感では過半数を大幅に越える。何故それが常識なのだろう?(私もみずほ証券を辞めるとき、次の職が決まっていないのに退職届けを出したことを両家の親から無責任だと言われました。)
既婚者はメンドリ的参加の不正乗り換えが許される雰囲気があるようだが、社会全体に対する不誠実さは変わらないと私は思う。そんな社員ばかりだからリーダーたちも傷つくし、人間不信・社会不信になって、次第に経営は社員を立場で扱うようになっていく。で、お互い様の雇われ根性と雇いたがり根性の、信頼する対話なき組織が出来上がる。
やっぱり、、
お金がないと生きていけないっていう生存不安、そして、家族の為に稼げる社会的立場を維持できないと自分の存在価値を肯定できないという実存不安が、脅迫的なまでに強すぎるように思う。雇う側も、雇われ側の怖れや依存心を都合よく利用しすぎだと思う。
だから村山さんは、強い個になれ、とメッセージを発信し続ける。この気持ち、よくわかります。
配偶者との対話。
会社との対話。
社会との対話。
いずれも、我が身の保証ありきで、人間と人間の本当の対話ができるわけないと思います。全方位に、一貫して自分の真実を発信する覚悟がなければ、与えられた立場に寄りかかる生き方しか出来なくなります。
仕事は、自己表現であり、自分と社会との対話であり、存在を分かち合う営みだと思っています。
全人的なコミットなしには、働くことの本当の喜びはないと思います。