2015年12月27日日曜日

問題に向き合う必然性。

もし自分の本当の願いを表現したくないのなら。
もし相手の本当の願いに踏み込みたくないのなら。
その程度の間柄に留まりたいのならば、その問題の真実を捉えることも変えることも出来ない。問題解決に値する覚悟がないということであり、そもそも、その問題に向き合う必然性がなかったということ。

その相手が家族でも会社でも国家でも同じです。

本物のクリエイティビティは時代との対話から生まれる。

既存の社会の何かを信頼して、使命感を以て、生涯を懸けてコミットした。その果てに既存の世界観に絶望して、全力で築いてきた自我ごと『物語』を捨て去り、生身の命の言葉を話すようになった。

そんな人が私は好きなのだと思います。

金融経済の分野で言えば、樋口耕太郎さん。
彼は東京とニューヨーク、そして上場企業の役員として、資本主義のフロンティアを駆け抜けた。その上で、こりゃあ駄目だと結論した。誰よりも金融に本気だった彼は、自身の生き方を省みて、その体験を昇華すべく沖縄の地で事業再生家となり、次世代の金融論を語りはじめた。

医療の分野だと「平穏死のすすめ」の石飛幸三さんもその一人だろう。

過去に本気でやってきたことは、前提の前提から間違っていた。自分も社会も根本的に間違っていたのだと、明確に自覚する。そこに大きなショックを受けるが、しかし一人でその現実を受け止める。自分を許すことを通じて社会を許す。業を背負う彼らは、人を本質的には裁かなくなり、真実を厳しく見極めるようになる。

そして偉大な人物は、時代に問いかける圧倒的な表現を創りだす。

本当のクリエイティビティは、時代との本気の対話から生まれるのだと思います。

2015年12月17日木曜日

知性の公園をつくりたい。

自分の住む街に「知性の公園」をつくりたいと思ってます。

住民が主に実名で推薦する「今の私の良書」を集めて本棚に置いてゆき、会員個々の主体性に委ねて、緩やかに本をシェアします。無い知を求めて足を運ぶのではなく、各々の内に有る知を開いて分かち合う図書室です。

皆が心に置いている本たちが集う場所。TEDのような情報発信もする知的交流センター。子育てや介護にも良書をシェアしながら寄り添いたい。そんなイメージです。

良く分かち合えば自ずと良く学ぶ。そう信じて、愉しく気づきを分かち合うムード、相互理解を深める機会を育くみたい。

先の話ですけどね。

2015年12月10日木曜日

再び注目されてほしい二宮尊徳。

先日こんなツイートを見つけました。
言い訳せずに勉強しよう。二宮尊徳は農民に学問は不要だと火を使うことを禁じられたが、農業をしながら自分で菜種を育てて油を取り、その灯で学んで名を残した。こんな厳しい状況でも学ぶことで人生を大きく変えた人がいるのだ。そう考えると、自分はどんなに恵まれた環境にいるのかと思えてくるはずだ。2015/12/05 21:00
メンタリストDaiGo 

私が歴史上の人物のなかで最も敬愛するロールモデルは二宮尊徳です。
日本最大の共同体再生家であった二宮金次郎の生き方と言葉から実に多くを学びました。たとえば、人道と悟道についての捉え方も、気持ちの良いほど的を射抜いていると思います。

『悟道とはただ自然の行くところ見るだけであり、人道は行き当る所まで行くべきものである。』
『悟道と人道とは混合してはならない。悟道はただ、自然の行くところ観じ、そして勤めるところは、人道にある。』
『善知識(僧侶)を尊び、娼妓(しょうぎ)を賤しむのは迷いである。そうはいってもこのように迷わなければ人倫は行われない。迷うが故に人倫は立つのである。だから悟道は人倫に益はない。そうであっても、悟道でなければ、執着を脱する事はできない。これが悟道の妙である。』
『人倫はたとえば繩をなうようなものだ。よりがかかるのをよしとする、悟道はよりを戻すようなものだ。だからよりを戻すことをもって善とする。』
『しかし、迷いといい悟りというのは、まだ徹底していない。その本源を極めるならば迷いも悟りももともとない。迷いといえば悟りと言わざる事を得ない。悟りといえば迷いと言わざる事を得ない。本来迷いと悟りで一円の世界である。』

一円融合は、二宮尊徳の思想と世界観を最も象徴した言葉です。この世で相対するものはすべてが互いに働き合って存在を支え、一体の円として存る。戦後最初の一円札に金次郎を選んだのは誰だったのでしょうね。数百の農村の再生を手掛けた彼の精神を以て、敗戦した日本国家の再生を願ったのではないでしょうか。

彼の施した報徳金融は、自然人による自然人のための、永続的な再生クラウドファンディングです。
再び注目されてほしい人物です。