2015年9月25日金曜日

投票数でもなく、資本量でもない、人物による人物への共感の質量。

政治の話が好きな人とほとんど気が合わないし、経済の話が好きな人ともほとんど気が合わない。でも自分は人間社会に大いに関心を注いでいるし、もっともっと社会の為になる自己表現をしたいと考えている。
借り物の社会物語に思考とポジションと表現を依存している人たちの言動は響かないんだよね。乱暴にざっくり言っちゃうとだけど。

これからの社会は、権威や資本を背景にした立場への信用力よりも、個人の正直な生き方とオープンなコミュニケーションによって流動的に開かれた「人物への信頼」が遥かに重要になっていく。この時代にシェアされるに値する生き方を世に突き出す(案外素朴な生き方)。そんな挑戦をする「世界に上場した個人」が、人間関係の生態系の重心にますますなっていく。

国際政治や経済ビジネスは争いの世界だから、より強者のグループや地位を得なくてはならない。そう考えているとしたら、とんでもない勘違いじゃないかな。立場や専門性に閉じこもる閉鎖的な生き様では「全人的な説得力」に乏しい。借り物の物語を着ている正当性の薄っぺらさは何となく分かってしまうものなのだ。

人間らしい健全な心と行動への、共感の質量。それが最大の社会的影響力となる時代。というかこれまでも、「ここぞ」というときの本気の人類は、そういうリーダー選抜をしてきたのだろうと思う。

投票数ありきでもなく、資本量ありきでもない、人物による人物への共感の質量。

立場の関係性や信用の力が1のパワーだとしたら、人物への共感と信頼の力は100の力を発揮する。人類の「ここぞ」が、日常的な感覚になる。そんな社会変化の真っただ中にいるイメージです。

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