2013年7月19日金曜日

余白があるという質

妻が朝井リョウ君の作品にハマってます。先日は新作『世界地図の下書き』のサイン会に行ってきて、激励の熱い手紙を渡してきたそうです。彼の女性的な感性で綺麗に流れる文章がツボらしい。また直木賞をとった『何者』の、心の裏側をぐいぐいと抉るカンジも堪らなくイイらしい。

『何者』について詳しく内容を聞くと、とっても面白そう。

インターネットが普及したことで、学生はキャンパスライフの充実度の差を、恣意的にであれ、互いに認識できるようになりました。いまやmixiやtwitterやフェイスブックの繋がりと、その活用状況をリアルタイムで観察できます。学生起業、NPO創立、ビジネスプランコンテスト、政策提案コンテスト、企業協賛金を巻き込んだ巨大イベント運営、カリスマブロガー・・・。学園祭や部活やサークル活動やボランティアもある。やりたいことを見つけて頑張る機会はいくらでも見つかります。望んで行動するかしないかだけです。学びも、成長も、よき仲間づくりも自分次第。それらが反映されるSNSやブログというメディアには、大学生活の充実度が如実に顕れる(と感じられます)。

そんな環境下で、就職活動の成果は決定的なパワーを持ちます。それ一つの失敗で台無しになるくらいのインパクトがある(と最中は感じられます)。自分の生き方の集大成と、社会からの評価の接点ですから、誰にとっても大学生活における最重要事項なわけです。

もちろんそんなこと気にしなきゃいいのですが、若者は自信がありません。ずっと受け身の枠の中で評価され続けて、自己重要感が健全に育まれていないことが多い。大人からの承認欲求が強いし、他者と比較して劣等感に苛まれやすいので、嫉妬やコンプレックスを回避するためには、どこかで優越感を必要とするかもしれません。そんな若者の性を刺激する最たるステージが就活(シューカツ)です。内定がいつ決まるか、どこに決まるか。虚栄心や自尊心がガンガン揺さぶられます。

今時の大学生の就活事情を背景にして描かれる感情のリアリティ。焙り出される人間の毒気。朝井リョウ君の体験と実感が込められて、ラストの展開は血の気の引くような迫力があるとのこと。

ほんと面白そう。背景の選択と視点が素晴らしい。
当時の自分を振り返りつつ、読んでみたい作品です。


妻と話していると、同じ文系でも考え方が違って楽しいです。国語のセンター試験でいうと、小説と論説文が語り合っているような感じ。あるいは、そのまんまですが、文学部と政治経済学部が談義してる感じです。


直観が鋭いです。頭でっかちな僕と違って。


オノナツメ、NANA、宇多田ヒカルについて。
お気に入りのレストランについて。
漫画や映画やドラマについて。

あれこれシェアして語り合います。互いの直観が言語化されていくのは楽しいし、視点や解釈の違いはよき学びになっています。

人物を描くこと、作品の味わい、レストランのサービス・・・
それらに共通して僕らが好む要素があります。


押しつけがましくないこと。


確かな上質さを、野暮にひけらかすことはしない。粋に在る。秘めている。
微笑み一つで通じあうような、伝えるのではなく伝わるというスタンス。
時には世界観を表現によって切り取ってしまうことを避け、全体の在るがままにして置く。
そして説明しないままが、最も純度の高い明示になりえることを知っている。
観るほどに、繊細、緻密。奥行きが広がる。
感性が自由に働く空白をプレゼントしている。
伝わることへの喜びは、既に自己完結している。信頼して、全く求めない。
作り手からの作為が迫ってくる感じはしない。
受け手が自ら選択する世界観と、自由な解釈プロセスに価値があると信じている。
創造という自由への喜びのままに。

ここまでくどくど口にしたことはありませんでしたが、言葉にすればそんな質感を僕らは、

「余白がある」と言っています。



改めてこのブログを自己評価すると、

・・・余白がありません。


一流のアーティストやリーダーには必ずそれがあります。


例えばガンジー。
世界大戦と植民地支配の時代。インド独立に向けて、非暴力主義の精神を掲げました。

「私には命を捧げる覚悟がある。しかし、人の命を奪う覚悟をさせる大義はどこにもない」

これはアンパンマンの「愛と勇気だけが友達さ」の歌詞に込められた、やなせたかしさんの正義哲学と全く同じです。参考:正義であること

彼は、自分の真実を行動で示し続けました。
敵にも味方にも、暴力の支配は幻想であり本質的には無力である、ということを。

「彼ら(イギリス軍)は、死体は手に入れても服従は得られないのだ」

パワーに対抗してもパワーで返ってきます。その連鎖に解決はありません。
かといって無抵抗は支配の肯定であり、事態を悪化させるだけ。

暴力に対する最善は、それを生み出してしている源泉と向き合うことです。
この場合、イギリスとインドの人々双方が抱いている、暴力への怖れです。

支配も服従も暴力それ自体の結果ではなく、心が生じさせた現象だとガンジーは見抜いた。彼の唱えた非暴力主義は、敵味方関係なく、各自が内的な怖れと向き合うように促す啓示として機能しました。
「余白がある」という質は、リーダーシップ論の文脈で言うと、
メッセージの受け手が、自らのリアリティを起点に自分に問いかけて、怖れの観念を幻想と見抜き、主体的な理性で世界と自己を解釈し直し、新たなあり方を選択する、というプロセスを生み出します。参考:真実と愛を選択するリーダー

自らの生き方を以てこのプロセスを起爆すれば、コントロールする必要なく人は動きます。インドを独立に導いたガンジーのリーダーシップは、時代を超えた普遍性がある。


真、善、美。

リーダーシップもアートも、高い喜びに導く本物には類似性がある。

押しつけがましくない。

自分の真実から創られた質が、他者の真実からも創られていく。
共鳴する音叉のごとくです。
自由な共同創作の分かち合いが広がり、高い喜びの現実が「自ずと」生み出される。


改めて考えてみると、
この「余白がある」というのは、愛の質感であるような気がします。

だとしたら、
押しつけがましさを嫌う妻の直観と指摘は、
肝心なところでは、やはり的を得ている気がしてなりません。

「あなたの言っていることは間違っていない。でも冷たい。優しくない」

そんな風に言われたとき、たしかに愛の質感がなかった自分がいます。


僕の課題です。


信頼のなかで、自由の喜びのままに余白をプレゼントしていきたい。

余白こそが、真実に問いかける力があると信じるから。

0 件のコメント:

コメントを投稿