2015年5月14日木曜日

娘にお姉さんが出来た。

3歳の娘と公園で遊んでいた。
そろそろ図書館と銀行に行きたいので帰ろうとした直後、駆け寄って来た女の子が娘に声を掛けた。

「ねぇ、一緒に遊ぼ」

小学校の名札がついている。どうやら一年生になったばかりみたい。どうしようか、妻には今から帰ると電話で伝えたばかり。娘はちょっと戸惑ってる様子、と一瞬考えつつ、

「こんにちは。お名前は、、、◯◯ちゃん?」

「うん」

「この子は◯◯◯。3歳になったところ。よろしくね。」

女の子「よろしくね」
娘「よろしくね」

まぁいいかな。二人共満足に遊べるのかはちょっぴり不安だけど。


でも全くの杞憂でした。


持って来たシャボン玉を一緒にやったり。

砂場で山をつくって、3箇所からトンネルを繋げたり。それぞれの穴からその子と娘と私の手が最初に触れた時は
、みんなとても嬉しい顔をした。

そこへ水を流してみたり。落ち葉や木の実や枝で飾り付けたり。

妻に連絡して、図書館と銀行は代わりに行ってもらい、もちろん途中参加。

そして縄跳びに、アスレチック。

気づけば小学校帰りの元気な子供たちで公園は賑わっていた。


娘は高い滑り台を怖がる。
喜んで登るくせに(そして大好きなアンパンマンの映画のプルンちゃんの真似をする)、当たり前のように滑らずに階段から降りる。
大丈夫だよ、パパが側にいるから滑ってごらん、って言っても駄目だ。

また子供に対しては少し臆病だ。
オトモダチが来たから、とすぐに場を離れてしまう。一緒に遊ぼう、とか、お先にどうぞ、とか、そういうやり取りをするまでもなく、早め早めにそそくさ引き下がる。保育園や幼稚園に行くようになれば、子供同士の関わ合いにも慣れるのかなぁと私も妻も思っていた。

でもこの日、娘は滑り台を思いっきり楽しんだ。

「◯◯◯ちゃん、滑り台すべろう」

娘「…」

「この子は、高い滑り台だと怖いみたいで。◯◯ちゃん行っといで」

逆から走り登ったりと、思いっきり滑り台を楽しむ◯◯ちゃん。そしてその脇の草花で遊んでる娘をしばらく見ていた。

ふと滑り台に近づいた娘に、◯◯ちゃんが上から降りて、

「◯◯◯ちゃん、二人で滑ろう。私のお膝の上に乗れば怖くないよ。」

「◯◯◯、一緒に滑ってみたら?」

いざ滑るときになるとやっぱり不安気だったが、
「大丈夫」と◯◯ちゃんが慣れた感じで娘の体をしっかり支えて、滑った。

娘は満足そうに笑った。

「ねぇパパ。また◯◯ちゃんと滑りたい。」

「声掛けてみな。また一緒に滑ろうって」

「うん」


二人とも楽しそうだ。

「ねぇパパ、また滑りたい。」

「また声掛けてみたら。きっと一緒に滑ってくれるよ。」

「うん」



「百回でも、十回でも、何回でもいいよ!」

そういって、娘が満足するまで何度も何度も滑ってくれた。


本当に楽しんだ。
17時30分、そろそろ帰ろうか。

「◯◯◯ちゃんのお家に行きたい」

え、、と、まぁいいか。喉も渇いたろうし、飲み物くらい出してあげたいし。おうちも近いみたいだし、その後で自宅まで送ってあげよう。

で、狭い我が家で、ピアノ絵本で娘はまた遊んでもらった。

18時。「◯◯◯ちゃんちでごはん食べたい」と言っていたけど(それは嬉しいんだけど)、お母さんが心配しちゃうかもしれないし、またおいでねと切り上げて、皆でお家まで送った。最後にお母さんさんにご挨拶をしてお別れした。


疲れた。思いっきり疲れたが、なんて気持ちの良い疲れだろう。

一人っ子だと聞いたが、なんて面倒見のいいお姉さんだろう。妻が「はたから見たら姉妹に見えるね」なんて言ってたけど、◯◯◯の本当のお姉さんみたいで微笑ましかった。

「一緒に遊ぼう」って声をかけてくれたあのとき、応えてあげて良かった。

大人の都合と予定もあって一瞬迷ったけど、
娘には子供同士で遊ばせてあげたいなって常々思っているし(午前中は近所の保育園の園庭開放で遊ばせていた)、
何よりも、小さな女の子の一緒に遊びたいという気持ちと誘ってくれた勇気に応えてあげたかった。

3歳の娘じゃ小学校一年生の相手としては不足で、こりゃ俺が本気で遊ばないとな、ってわかってたけど覚悟した笑

最初に妻が駆けつけてたとき、
◯◯ちゃんを紹介して、

「この子から遊ぼうって誘ってくれたんだ」

そういうと、

「(誘ったりすることは)最初は恥ずかしかったけど、大丈夫になったんだよ」と。

そんな会話を思い返すと、ちょっと臆病な娘に優しく引っ張ってくれるお姉さんができた、そんな心境にもなる。


なんだろうね。

自分の子供と近所の子供の触れ合い。そこに子供たちのそれぞれの成長を見ながら、また幼い彼女らの純粋な世界と全力の遊びに交わりながら、とても懐かしい感覚と記憶が蘇ってくる。

20数年前に、砂場で山をつくりトンネルを掘っていた自分。誰よりも固い団子をつくり続けていた自分。蟻の動きに夢中になっていた自分。

なんだろうね。この優しい気持ちは、穏やかな幸せは。


今日は子供たちから教えてもらったよ。

大人の不安と、子供の不安は違うんだな。

社会に本音を開くことではなく、
自分の心が生きる世界に身体を開いている。
人間関係を信頼することではなく、
自分の心が生きる世界にいてくれる人を信頼する。

楽しい一日をありがとう。





2015年3月26日木曜日

良書をシェアしたい。

ここ数年間で読んだ良書の一部です。

私は千葉県佐倉市西志津に住んでいます。
近所に住んでいらっしゃる方で読んでみたいと思われた方はご連絡下さい。
無償でお貸しします。

誰かが読み終えて、もう手離しても構わなくなった書籍を寄贈してもらうのではない。

「今」その地域に住んでいる人々が、「今」手元に置いておきたい本。
そして、地域を分かち合う仲間たちと「今」共有したいと思う知恵。

「いま現在の私の良書」を住民たちが開いた心でシェアする図書室をつくりたい。
そんな知性の公園があったら素敵じゃないだろうか。 

2014年8月15日金曜日

「社会とは何か」を語る者の心構え

村上春樹さんのカキフライ理論が面白い。

あるとき読者からこんなメールが来たそうです。

*****

先日就職試験を受けたのですが、そこで『原稿用紙四枚以内』で自分自身について説明しなさい、という問題が出ました。

僕はとても原稿用紙四枚以内で自分自身を説明することなんて出来ませんでした。そんなこと出来っこないですよね。もしそんな問題を出されたら村上さんはどうしますか。プロの作家にはそういうことも出来るのでしょうか?


それについての僕の答えはこういうものだ。

こんにちは。原稿用紙4枚以内で自分自身を説明するのはほとんど不可能に近いですね。おっしゃるとおりです。それはどちらかというと意味のない設問に僕には思えます。ただ、自分自身について書くのは不可能であっても、たとえば牡蠣フライについて原稿用紙4枚以内で書くことは可能ですよね。あなたが牡蠣フライについて書くことで、そこにはあなたと牡蠣フライとのあいだの相関関係や距離感が、自動的に表現されることになります。それはすなわち、突き詰めていけば、あなた自身について書くことでもあります。それが僕のいわゆる「牡蠣フライ理論」です。今度自分自身について書けと言われたら、ためしに牡蠣フライについて書いてみて下さい。もちろん牡蠣フライじゃなくてもいいんです。メンチカツでも、海老コロッケでもかまいません。トヨタ・カローラでも青山通りでもレオナルド・ディカプリオでも、何でもいいんです。とりあえず、僕が牡蠣フライが好きなので、そうしただけです。健闘を祈ります。

『村上春樹 雑文集』の最初に収録されている自己とは何か(あるいは美味しい牡蠣フライの食べ方)」より

*****

ちなみに引用した記事は、村上さんの考える小説家とは何か、文学とは何か、物語とは何か、自己とは何か。そういう核心がギュッと詰まったかなり読みごたえのある「雑文」です。その文中の最後には実際に原稿用紙四枚で書いてみた「牡蠣フライの話」を紹介しています。実存に関する本質論からオウム真理教に観る社会背景、そして日常感覚のユーモアにまで文脈を自在に繋げる力はさすがです。

こう表現することも出来るでしょう。

あなたが「何か」を表現すると、
その何かが意図した通りに表現される以上に、
「それを表現するあなた自身」が自動的に表れる。

あなたが意識する「それ」との関係性の、質感とエネルギーを以て、「あなたとそれ、というあなたのユニークな全体性」が無意識に伝わってしまうということです。

ところで。私は昨日ブログタイトルを「社会を担う者として」に変えました。これからもっとシンプルに社会を語っていこう!ということですが、それもまた「牡蠣フライ理論」と同じです。社会を観察しブログで描写するということは、自分の頭と心と行動を観察してオープンに自己表現する、ということです。ここで重要かつ純粋な表現物は、「社会」ではなく「千明公司」です。この自覚がなければバランスを欠いてしまいます。

健全な社会を描き、語り、自ら導きたいと望む者は、自分の人間観、人生観、社会観、世界観をオープンに語らなければなりません。自分の頭と心の中をさらし続け、その健全さは人として共感に値するものであるか、他者に判断を委ねて試されなければなりません。与えられた主義主張や立場に思考を依存せずに、また正当化することなく、ただ真摯に観察し、気づきゆえの願いをビジョンとして描き、勇気をもって正直に問いかけていく。社会を導くリーダーはそんな態度で臨むべきだと私は思います。


村上春樹さんの「牡蠣フライ理論」を紹介した理由はもうひとつあります。

それは、妻が彼をロールモデルとして選んでいるということです。

彼は本好きの妻が一番好きな作家ですが、その自立した精神性と余白のある心は、生き方や子育てにおいても人として参考にしたいと妻は考えています。私にとって村上春樹さんを観ていくことは、私たちが最良の家庭づくりのためのコミュニケーションをしていく上でとても重要なのです。

私と妻のあいだの関係性を新たに描くために、私と村上春樹さんのあいだの関係性を深める、ということです。
その具体的で合理的なアプローチとして、「社会を担う者」という私自身の物語の文脈から、村上春樹さんの文章を捉え、このブログでオープンに有意義なシェアをしたいと考えました。

「健全な社会とは何か」を語るリーダーとして、いま自分が重んじている人間関係の質感と社会を繋げて、他者の願いと自分の願いを一つとして表現していく。これからはそんなスタンスで描いていきます。

そういえば思いだした。
ブログを書きまくってた去年の夏頃だったか、妻の刺すような言葉。


「別に次世代にならなくていいから」


そうだね。消しました。


それはもう、私の中にあるからね。

社会を担う者として

久しぶりの更新ですが、
ブログタイトルを変えます。

「次世代の社会」という観念を捨てました。
タイトルからこの言葉を外します。

現代社会という私たち自身の心を、
もっと素直に観ながら、自然体でオープンに対話する。
そんなスタンスを取りたくなりました。

主旨としてはこれまでと同様に、
健全な人間社会のビジョンを捉えることと、描くこと。
そしてこれまで以上に、
その実現を願って行動する者の視点で書きます


振り返るとタイトルをよく変えて来ました。


次世代の社会を担う若者としてBe the change you want to see in the world~

次世代の社会を担う者としてWhat would love do, now?~


新しいタイトルは、


『社会を担う者として』


副題はありません。

今後このタイトルを変えるつもりはありません。

よろしくお願いします。

2014年1月9日木曜日

清々しく穏やかな等々力渓谷から

世田谷のマンションから千葉県の実家に引っ越してからというもの、
会社へ向かう通勤中に等々力渓谷を通っています。

ここは都心のど真ん中とは思えないほど豊かな自然に恵まれています。

空気の気持ちいいこと。
晴天の空。陽の光で照り輝く緑の美しさ。
木漏れ日と小川のせせらぎに心が安らぎます。

今日撮った写真をアップします。






こんな通勤が出来るなんて、なんだか恵まれています。
私の業務は昼からなので出勤前に食べていくのですが、
渓谷のベンチで弁当を一人食べるのはなかなか幸せです。

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ブログに書きたいことはあったのですが、前回の記事から暫く休んでいました。
年末の忙しさと、引越しのドタバタ、そして家族と過ごす時間を優先していました。
さらに、ツイッターでの表現が有意義かつ面白く感じて、
こちらのアウトプットを重視していた為に休みが長くなっておりました。


等々力渓谷を歩いたときの、自然に抱かれる心地良さを思い浮かべつつ。
そんな穏やかな清々しさを据えて、今年も生きていこうと思います。
どうぞよろしくお願いします。


2013年11月16日土曜日

娘へ贈る言葉 

もし今日が人生最後の日だとしたら。

自分の子に言い残したいのはどんな言葉だろうか。

人生を振り返って、娘を想って、
贈りたいメッセージが浮かびました。

――――――――――

29年の人生で、大切だと気付いた三つのことがある。

偽らないこと。
分かち合うこと。
信じること。

でも、考えてみると面白いんだ。
実は1歳半の今のあなたは、既にそれを全力でしている。
お父さんよりも。他のどの大人よりもね。
だから、あなたはそんなに小さくても、ほとんど言葉が話せなくても、
多くの人を幸せにする力がある。
あなたを中心にして、皆が明るく微笑んでいる。
あなたの存在を分かち合うことに、暖かい喜びと生きがいを感じている。
本当に凄い力を持っているんだよ。
いつの時代も、どんな社会も、その三つを全力でする人が愛されるんだ。
今あなたが無心にしていること。
それが愛するということなんだ。
これからもそのままでいい。正直であればいい。

だけど、人として生きるには、もう一つ大切なことを学ばなければならない。

偽らないこと。分かち合うこと。信じること。

自分がそうあるだけでは駄目なんだ。
それが出来ない人を、ゆるして生きるということ。

これから先、あなたは多くの人の人生と出会います。
そのなかで、人の弱さと自分の弱さを知る。
その弱さを、裁き責める心に憑かれてはいけない。
覚えていて欲しい。
問題も答えも、自分の心の中にあるということ。
そして自分自身の不安を取り除くのは、
目の前の人間関係と社会全体に、真っ向から向き合うことでしかありえないということ。

人は、自分と向き合うほどに強くなる。
他者と向き合うほどに優しくなる。
現実に向き合うほどに賢くなる。
願わくば、あなたには強く優しく賢くあってほしい。
そうであるほど、人をゆるすことができるから。

偽らないこと。分かち合うこと。信じること。

大人になっても純粋に人を愛したいと願うのなら、
ゆるす意志をもって行動する人生を選択することになる。

人は、ゆるすほどに自分を気高く解放することができる。
その自由な喜びの中で、思うままに、人生を愉しんでほしい。
それが父としての願いです。

何があっても大丈夫だから。
心配しなくていい。

生まれてきてくれたあなたに感謝しています。
人生で一番の幸せを今感じられているのは、あなたの存在のおかげです。

PS:
命日に墓参りも線香も要らないから、
ブログを読んでちょっと思い出してくれると嬉しいよ。
千明公司 あなたの父として 

――――――――――

2013年11月13日水曜日

自分を信じて歩んだ道の果て

それぞれの生きる道は天によって完璧に決められていて

それでいて完全に自由だ

根っこのところを天に預けている限りは― バガボンド 沢庵 (井上雄彦)



バガボンド36巻が出ましたね。


最高です、ほんと。
井上さんの人間への哲学的洞察力とその表現力には脱帽です。この巻では以前ブログに書いた、武蔵が自我を手放すシーンが描かれています。
自我を手放すこと

バガボンドという物語における最重要シーンです。ご覧になったことの無い方はぜひ読んでみてほしい。


武蔵は孤高に強さを求め、命がけで天下無双の道を歩んできました。その果てに京最強の吉岡清十郎を破り、さらに吉岡道場一門70名を迎え討って切り殺した。名実ともに最強の名を手にしたにも関わらず、喜べぬ自分がいる。殺してしまった者たちが頭によぎっては、自分のあり方と生き方に迷いが生じる。そして剣も迷い、堅く鈍っていく。


冒頭の文句は、そんな武蔵に再会した沢庵が伝えた言葉です。

――――――

(・・・腹に呑み込んだ鉛。鉛のような重さを抱えて生きる。

今も―
闘いは続いているということ。

あいつら(武蔵が殺した者たち)は赦され、俺にとってだけ続いている・・・)


「勝ったのはどっちだ?」


沢庵「勝った者はいない。そうじゃないかね?」


「わからねぇ」


沢庵「お前の芯はわかっている。その重さが何よりの証」

――――――――――――――――

沢庵は武蔵の心を見抜いて語ります。

沢庵はストーリー序盤から武蔵の精神的成長を導いています。幼馴染のおつう以外で、武蔵を怖れずに向き合おうとする唯一の人物です。その沢庵がこの時、悟りを開いたときに得た言葉を武蔵に伝えました。なぜか。


「苦しみを知る今のお前には伝わると思ったんだ・・・武蔵」


自分を信じて、辿り着いた道の果て。
人はきっと、願望が実現した先に、本当の自分と向き合うことになる。
成りたいものに成った時。得たいものを得た時。あるいは、捨てたいものを捨てた時。願いがかなった先に、はじめて自分の真実が問われる。問わずにはいられなくなる。

満たされぬ自分がいる。誰も理解できぬ、鉛のような重さを孤独に抱える。
それは、何かが間違っていたのだという、芯の部分からのサインです。

沢庵の言葉の真意を得たのが、36巻の最後に描かれている「水ぬるむ頃」です。

飢饉の村を思い、田の土に祈った武蔵。
収穫期まで乗り越えられぬ飢えの現実と、衰弱する伊織を目の当たりにし、
自分が揺さぶられる。


どうありたいのだ

強く―

俺がおれらしく―

・・・手足がなくても、それは残るはず

俺は

何だ?


自問が極まったその時、思い出した言葉。

(優しいんだよ、あんたは)



「手足がなくても」のくだり。つまりそれは、最強である自分が子供にも劣る最弱な人間になったとしても、おれはおれだと武蔵は受け入れることができるということ。自尊心を守らねばいられない実存的怖れを超えたということ。

強さに執着するエゴが外れ、人を救いたいという素直な一心で、役人に頭を下げて助けを乞うた。

これまでの武蔵では考えられなかった行動です。そのように至るまでの人間の成長と変化が、15年の連載を通じて描かれたのだと思うと感嘆します。


人間を描くということ。

自分を信じて歩んだ道の果てに、独り自問して辿り着くのは、愛であるということ。

バガボンドで、アーティストとして、
井上さんが最も伝えたかったテーマが、ここに結実してある。

天によって定められた人の道は、愛すること。

そう思いました。

井上さん、ありがとう。