2013年6月20日木曜日

生命とは何か②


生命体は負のエントロピーを食べて生きている ―シュレーティンガー



生命とは何か」の続きです。

人体は体重の98%が、酸素・炭素・水素・窒素・カルシウム・リンです。生物と無生物の違いは構成される物質の違いでは説明できません。生物は生命たらしめる特有の何かを有しているわけではありません。

もっと言うと、僕が死んでも、その直後では構成される元素に変化はありません。生と死の違いにおいて分解というアプローチでは分からないということです。バラバラに構成要素を取りあげても生命の本質は見えてこない。

生物を”生きている”状態にしているのは、
どんな物質をどれだけ使うかではなく、
物質の「組み合わせ方」と「使われ方」です。

では生命という現象を生じさせている物質の「組み合わせ方」と「使い方」とは、
いったいどのようなものでしょうか?

その一つの答えが、
エントロピーを増大させない物質の組み合わせ・使われ方である、というものです。




宇宙を貫く物理法則の一つに、エントロピー増大の法則があります。
エントロピーとは無秩序の度合いです。


「部屋が片付いている状態」
→ エントロピーが小さい
「部屋が汚い状態」
→ エントロピーが大きい

参考:哲学的な何か、あと科学とか(画像はここから)


整理整頓された部屋は、そのまま自然に任せておくと、だんだん乱雑になります。
勝手に整理される、ということはありません。そんなイメージです。

エントロピー増大の法則とは、
「自然(宇宙)は、あらゆる現象を『秩序から無秩序へ』と進ませる。
エントロピーは『小さい→大きい』という方向へ常に向かう。」

こう言い変えてもいいです。

「エネルギーは、偏りのない状態へ向かうしかない」

死んだ生物は、もはや外から栄養を摂り、代謝することができません。体を動かすエネルギーを合成することも、細胞分裂させて新しい細胞をつくることもできません。結果として、死んだらその体の構造を留めておくことはできない。時間経過とともに、維持されていた秩序ある構造が崩れていきます。

一方、生きている生物はエントロピーが増大しないように見えます。外から栄養を摂取し、代謝し、エネルギーを合成し、細胞分裂させ、体の構造を維持・成長させます。崩れいく一方の物質や死んだ生物と異なり、生きているという現象は「エントロピー増大の法則」に反しているように見えるのです。

たしかに私たち人間が生きるということは、
爪や髪が伸びれば切り、腹が減れば食べ、歯を磨き、消化・排泄します。風邪を引けば免疫系が働き、ケガすれば治癒する。日々、細胞を分裂・代謝し、血流を滞りなく流し、脳や五臓六腑を機能させ、生命の設計図であるDNAを複製し続けています。

私という秩序は、
膨大な「整理整頓」の連続として在るのです。

それが生です。

「整理整頓」をしなくなる。

それが死です。


これが「生物は、マイナスのエントロピーを食べて生きている」というシュレーティンガーの指摘の意味です。「生物は、外から得た物質とエネルギーを使って、秩序ある構造をつくることで、放っておくと自然にふえるエントロピーを増えないようにする現象」ということです。

 雑誌ニュートンのとりあえずの結論はこうです。
生命とは、外部からエネルギーを取り込み、排出することで、秩序だった構造を成す存在である。

エネルギーの出入りが生み出した高度な秩序――それが生命。





以上ニュートンを参考に、生命という現象の大枠を書きました。何か気付きがあったでしょうか?僕の考えのまとめも書いておきます。物理的な現象としては、

エネルギーの出入りが秩序を為す。それが生であり、
エネルギーの出入りが秩序を為さなくなる。それが死。

秩序を為さなくなるとは、視点のスケールを大きくすれば、秩序の物理領域の次元が上がる、ということです。私という秩序は、地球の生態系という大きな秩序の一部に還って、新たな生の秩序へと流転していく。それがエネルギーと物質の流れから、生命を現象として捉えた科学的結論です。

一般に宗教は生と死を説明します。「死んだらどうなるの?」という答えのない問いに、信じるに値する世界観を提供しようとします。天国、輪廻転生などですね。死んだら私の意識(の根源である魂)は、神・宇宙あるいは天へ還る。古今東西ある思想ですが、このような生命観は科学的な洞察とも類似性があります。

生命が「エネルギーの出入りが成す秩序」だとするならば、死はその秩序の終わりです。しかし同時に、全体の秩序への同化です。その中の縁起によって、新たな生命という個性ある秩序が誕生します。死によって、大いなる全体意識の次元へ魂が向かう、と考えるのは合理的な類推に思えます。

エネルギーは無秩序へ向かうしかない、というのは一つの秩序を同次元の枠組みで捉えようとするからです。エントロピー増大の法則は、閉じられた空間(閉鎖された系)にしか適用されません。しかし世界は開かれた空間(開放系)しか存在しません。宇宙は今も加速して膨張しています。私たちが捉えられる秩序と無秩序の変遷は、一つ高い次元において眺めれば、秩序ある整然な現象を為しているかもしれません。秩序ある私たちの体が、あるいは目に見える世界が、量子的スケールでは素粒子の無秩序な振舞いによって象られているのと同じようにです。

宇宙はおそらく秩序の入れ子構造なのでしょうね。小さな素粒子、原子核、原子、分子、DNA、細胞・・・・そして地球、太陽系、銀河、銀河団、宇宙。視点の相対速度とスケールを変えれば、想像を遥かに超えた美しく豊かな秩序が折り重なっている。そんな気がします。


以下はニール著の「神との対話」の引用です。
―――――――――――――――――――

宇宙の法則は、わたしが定めた法則だ。

それは完璧な法則で、物質を完璧に機能させる。

雪のひとひら以上に完璧なものを見たことがあるだろうか?


その精妙さ、デザイン、対称性、ひとつひとつが雪の結晶としてあるべき姿を保ちながら、

同時に個性的でもある。まさに神秘的ではないか。

あなたがたは、この自然の驚くべき奇跡に驚異の念をいだくだろう。


雪の結晶についてこれだけのことができるわたしなら、

宇宙についてどれほどのことができると、あるいはできたと思うか。

最も大きな物質から最も小さな分子まで、その対称性、

デザインの完璧さに思いをめぐらせてみても、


あなたは真実を把握することはできないだろう。

その真実を垣間見ているいまでさえ、その意義を想像することも、理解することもできない。

だが、意義があること、

それがあなたがたの理解力をはるかに超えた複雑で特別なものであることはわかるだろう。

シェイクスピアはいみじくも言った。

「天と地のあいだには、おまえの哲学では及びもつかないことがあるのだ」と。

――――――――――――――――――――


最後に。

僕は数か月前に、生命について自分なりの結論をブログに書いていました。
生命を考えることと、自分を知ること


生命とは、外部に対して、エネルギーが独自の自律流動サイクル(循環)をもつ現象。
-ただし時間的・物理的に厳密に区切れる境界線はない-


このようにも言いました。

果たしてこの見方が現代社会にどのように役立つのか。
それは経営、経済、金融を機能させるイメージと重なる。

二宮尊徳の報徳金という資本システムが、
資本主義を次世代へ切り開くヒントに溢れていると僕は思っている。
それは生命システムや生態系との本質的類似がある、と感じている。


いよいよ二宮尊徳の哲学と報徳金についても書きたくなってきました。
キーワードは、自律・ネットワーク・贈与、でしょうか。

人間社会は生態系として捉えるべきであり、個々の秩序をバラバラに分離した競争合理主義のアプローチは、実は合理性が極めて低い可能性があります。

「生命とは何か」を、構成する原子に分解しても捉えることが出来ないように、
「合理的な人間社会の在り方」を、下手に消費者・労働者・資本家、国民という観念に分解しても捉えることは出来ないのではないでしょうか。

エネルギーと物質の流れ方・組み合わせ方が、生命の本質であるように、
人の心とお金の流れ方・組み合わせ方が、経済の本質であるように僕には思えてなりません。

経済の実態は、流れる量ではなく流れ方の質であり、
人の心と向き合う精神のないお金の動きは、社会的合理性を毀損するように僕は思います。



二宮尊徳はこう言いました。

財の生命は徳を活かすにあり


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参考:「生命とは何か」についての言葉

● すべての生物は神が制作した機械である(デカルト)
● 生命とはタンパク質の存在の仕方である。そして、この存在の仕方は、本質的には、タンパク質の化学成分が不断に自己更新を行うことである。(エンゲルス)
● エントロピーの増大に反して自己組織化する(シュレーディンガー)
● エネルギーによって駆動されるサイクルを介して、秩序が高まる限定された領域(セーガン)
● ダーウィン的進化をすることができる自律的な化学反応システム(NASA)
● フィードバックメカニズムのネットワーク(コルツェニフスキー)

参考:細胞説(wiki)
あらゆる生物は細胞から成り立っているとする学説。さらに細胞が生物の構造および機能的な単位であり、生命を持つ最小単位であるとする現在の認識の基礎となった。ある意味で細胞説は近代的な生物学の始まりである。「すべての生物の構造的、機能的基本単位は細胞である」

参考:分子生物学(wiki)

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